2020年2月6日木曜日

「男泣き」はジェンダー差別か

社会には様々な差別が、無自覚の制度として生活の中に、内在化されているから、私たちは、無意識に差別をする。ジェンダー差別もその例です。小さい時から、「男の子は男らしく」とか「女のようにめそめそ泣くな」等と言われて育つから、それが当たり前だと思ってしまいます。
しかし、最近見た次の新聞記事には、ちょっと引っかかります。大相撲初場所で、幕内どん尻の徳勝龍が優勝した瞬間、彼は、男泣きしました。この「男泣き」は「女泣き」がないから、ここにもジェンダー差別が潜んでいる、とありましたが、果たしてそうでしょうか。
強い男、弱い女は、今でこそ、治安が行き届いた平和で文明的世界では、意味を失いましたが、ひと昔前には、それは、誇りの問題であり、美学であり、ドラマや絵画の主題の一つでした。生物的に男が筋力があるのは、それなりの理由があるでしょう。ライオンやゴリラだって雄が強く大きいのは進化論的意味があります。

昔、西部劇のジョン・ウェインやチャールトン・ヘストンは、男らしくカッコよくあこがれました。ジェンダー差別をなくすことに異論はありません。しかしジェンダー差別と性的差異の境界は、微妙なところがあるのではないでしょうか。


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