2020年3月28日土曜日

オリンピックと土地再開発

オリンピックの開催地として、日本でやろうと、最初に手を挙げたのは、森喜郎元総理(オリンピック組織委員会会長)だそうです。むかし、そんな記事を週刊金曜日で見た気がして、グーグルで調べたら、たしかに、2018年の9月7日号に、元自民党議員山口敏夫氏が暴露する、として、「東京オリンピックを言い出したのは、森喜郎さんですよ」といいう見出し記事がありました。

その内容は確か、明治神宮付近は、明治天皇の名前の関係で、広大な土地があるのに、土地開発が困難なままであるが、オリンピックとなると、その縛りがゆるんで、開発と金儲けのチャンスになる、という記事でした。要するに、お金儲けのために、オリンピックが利用されるのではないか、という懸念の記事でした。その時は、そのままでしたが、最近、次のような話を新聞でしりました。

明治神宮外苑地区は昔から、スポーツ施設のメッカであり、様々な市民スポーツの施設が集中して、都民の大事な施設です。しかし、最近、それらを切り捨て、超高層ビルやホテルなどを建設する、再開発の計画が次々に持ち上がっている、と知りました。東京都や宗教法人明治神宮なども、関係しているということです。

「やはり、そうだったのか」という気がして、ますますオリンピックがいやになりました。

2020年3月24日火曜日

ドラマ「いだてん」に思う

NHK大河ドラマ「いだてん」は、あまり面白くなかった。私は、脚本の宮藤官九郎さんは、「あまちゃん」以来期待していたので、頑張って最後まで見ました。随所に官九郎さんらしい、庶民にやさしい目線もあったし、オリンピックの平和の理念も、きちんと伝わったし、草創期の先人の苦労もよくわかったが、何がたりなかったのだろう。色々批判も書かれていた。やれ主人公が入れ替わるだとか、やっぱり時代劇でないとだめだとか。

しかし、最近のコロナとオリンピック延期の騒動の中で、ようやく「いだてん」が成功しなかった本当の理由がわかりました。それは、オリンピックは、あまりに巨大化して、原点の精神から遠ざかり、私たちを感動させるような内実をすでに失っている、からではないでしょうか。

もはや、オリンピックというテーマでは、だれがやっても感動できない、突然そんな気がしました。だから、官九郎さん、あなたのせいでありません。がっかりしないでください。

2020年3月19日木曜日

オリンピックとは

オリンピックは開催されるのか、マスコミは、オーバーヒートしてます。巨額の投資、準備、大勢の選手の気持ち、等を思うと、無理はありません。選択肢は、3つ、開催の強行、延期、中止のどれかです。

しかし、問題なのは、どの選択枝も、大変な犠牲を伴い、解の存在しない方程式の状態です。このことは何を意味するでしょうか。

オリンピックの理念は、かりに戦争状態があっても、休戦にしてスポーツをしよう、という平和運動のはずです。ウィルスとの闘いを戦争だという人がいますが、ウィルスは、休戦に応じませんから、この場合、戦争と呼ぶのは、無理があります。これは、地球外生命の攻撃を同じ次元の問題です。だとすると、なすべきことは、休戦してオリンピックではなく、休戦して世界が一丸となってウィルスと戦う、ということです。この場合、休戦とは、オリンピックを中止することです。ウィルスとの闘いこそ、オリンピックなのです。

ところがそういう議論にはならない、なぜでしょう。それはオリンピックの理念が形骸化して、資本主義的巨大興行になってしまたこおです。国家も、IOCも、選手もそれぞれが、見返りを期待して、巨額の初期投資をした投資家です。それを回収しなくてはならない、という、資本主義的都合があるからではないでしょうか。

ウィルス対人類

細菌やウィルスによるパンデミックは、ペストや天然痘など、人類は何度も経験してきた、とはよく言われることです。しかし、今回のウィルスとの戦いは、近代としては本格的真っ向勝負であり、それは、初めての、ある意味で、史上初めての実験でもあります。

中世ヨーロッパのペストの時代に比べ、人間の移動速度がずっと早く、その意味で、世界的流行になる時間も高速です。一方、医学知識も進み、情報の伝達も早く、国家ぐるみで一斉に移動を禁止するなどの、強力な対抗手段も、中世とは比較になりません。又国際協力も進んでいます。人類はずっと強くなっています。

中国が一国とはいえ、3か月半足らずで、克服できたのは、こうした近代的総力戦の勝利といえます。そして、中国一国ができるのなら、世界でもできるはずです。もし、幸いにウィルス戦争に勝利できたなら、その時、人類は、オリンピック以上の、人類の連帯感や、人類への信頼を、感じるのではないでしょうか。


2020年3月15日日曜日

スプリングエフェメラル

今日、テレビ番組で、スプリングエフェメラルという素敵な言葉を憶えました。spring ephemeral  は、直訳すると、春のはかない命とか春の妖精というそうで、春の短い期間だけ咲く花(たとえばカタクリの花)とか、蝶、蛾などを指すようです。

マンションの階段みの途中で、床面に羽根を広げじっと寒さに耐えている蛾を、何度か見たことがあります。冷たいコンクリートでも、屋内からの熱がわずかにあり、暖をとることができるのかもしれません。このような蛾も、暖かくなれば飛び出すでしょう。それもスプリングエフェメラルです。つい最近も、階段で、そんな蛾を見つけましたが、これは間もなく死にました。

今の時期、ゴキブリも出始めます。よたよたと動きが鈍いゴキブリを見ると、もし、寒さで、体が弱っていて、どうせ間もなく死ぬのなら、わざわざ殺すのはかわいそうだ思いました。しかし調べたら、ゴキブリの寿命は2年くらいといいます。すると、動きが鈍いのは、弱っているのではなく、寒さで体が動かないだけということになります。暖かくなれば又元気になるのでしょう。となると、やっぱり増えるのは困るので、次に見つけたら殺すことにしました。

日本にもスプリングエフェメラルに負けない素敵な言葉があります。春になりミミズや虫たちが地面から出てくるという「啓蟄」です。今がちょうどその時期です。

2020年3月3日火曜日

コロナ難民

コロナのせいで、図書館が休館になりました。図書館が日課で、往復の散歩が、唯一の運動だった私にとって、図書館閉館は、打撃です。私のような、行き場を失った高齢者は、図書館難民です。

そのようなわけで、昼食後、いつもの図書館の代わりに、運動だけは欠かすまいと近くの公園に行きました。久しぶりの公園は、4月上旬の暖かさで、ユキヤナギや水仙が咲き、高いこぶしの喬木のてっぺんには花が咲き始めており、気持ちのいいものでした。公園には、休日でもないのに、親や、年寄りに連れられた小学生があちこちにいて、ああここにも、コロナ難民がいるなと思いました。このような子どものためにも、せめて図書館だけは、何とかしてほしかった。感染防止のため、閲覧は無理としても、せめて本の借りだしができれば、読書のよい機会だったと思うのですが。

本さえあれば、授業がなくっても、素晴らしい出会いは可能です。昔、黒死病(ペスト)大流行で、ケンブリッジ大学が閉鎖になった時、学生だったニュートンは、田舎に帰り、のんびりできたおかげで、微分積分学や力学のアイディアを得たというエピソードは有名です。


2020年3月1日日曜日

続5Gの危険性

電磁波は、波長が短くなるほどエネルギーが大きい。普通のラジオやテレビの電波に比べスマホはもっとエネルギーが大きいミリ波という電磁波です。今、微量の電磁波に被爆しただけで、頭痛、めまい、吐き気、動悸、不眠などが起きる電磁波過敏症の人が増えつつあるといいます。(日本で6%)

勿論、電磁波の健康リスクは、様々の見解があるようで、まだわからないことがおおいのだと思います。しかし、電子レンジの発熱の力を考えてきてください。分子の振動条件とマッチすると電磁波のエネルギー吸収が発生して、細胞に悪さをします。体内には、様々な分子がありますから、どのようなマッチングが起きないともかぎらない。すると、細胞の内部に影響を及ぼす可能性があることくらいは、素人にも想像できます。ミツバチの大量死も、これが関係しているという研究もあるそうです。

とにかくわからないうちは慎重にしてほしいと思います。だから欧州は日本などより、ずっと厳しい規制をするということです。その日の生活に追われる私たちの心には、こうした問題は政府が何とかしてくれるだろうという、人任せの気持ちがあります。しかし、コロナ騒ぎで、安倍政府は、憲法改正をいうが、危機管理という政府の最大任務は何もやらない政府のようであることが暴露されつつあります。