オリンピックは開催されるのか、マスコミは、オーバーヒートしてます。巨額の投資、準備、大勢の選手の気持ち、等を思うと、無理はありません。選択肢は、3つ、開催の強行、延期、中止のどれかです。
しかし、問題なのは、どの選択枝も、大変な犠牲を伴い、解の存在しない方程式の状態です。このことは何を意味するでしょうか。
オリンピックの理念は、かりに戦争状態があっても、休戦にしてスポーツをしよう、という平和運動のはずです。ウィルスとの闘いを戦争だという人がいますが、ウィルスは、休戦に応じませんから、この場合、戦争と呼ぶのは、無理があります。これは、地球外生命の攻撃を同じ次元の問題です。だとすると、なすべきことは、休戦してオリンピックではなく、休戦して世界が一丸となってウィルスと戦う、ということです。この場合、休戦とは、オリンピックを中止することです。ウィルスとの闘いこそ、オリンピックなのです。
ところがそういう議論にはならない、なぜでしょう。それはオリンピックの理念が形骸化して、資本主義的巨大興行になってしまたこおです。国家も、IOCも、選手もそれぞれが、見返りを期待して、巨額の初期投資をした投資家です。それを回収しなくてはならない、という、資本主義的都合があるからではないでしょうか。
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