2019年12月31日火曜日

さよなら2019年

今年ももう少しで終わりです。西向きの部屋から丹沢が見えますが、快晴の空を降下してきた太陽は、今まさに沈み、今年の終わりを告げようとしています。

私は、今年1月と昨年7月立て続け二人の兄妹に先立たれました。生者は、時間という乗り物にのったまま新年を迎え前に進みますが、死者の時間は止まったままです。だから、新年とと共に、今年の死は、昨年の死となり、昨年の死は一昨年と、少しづつ過去の存在になります。

時間と共に、少しずつ過去になってゆく、それは避けられない生と死の別れの一つの現れなのでしょう。ふと、銀河鉄道の夜を思い出しました。あの銀河鉄道でも、死者達は電車を下車して、生者を乗せた列車は大空をどんどん前に進みます。あの列車のように私たちは、時間という乗り物にのって、否応なく未来という駅に向かって、猛スピードで突進しています。もう少しで、さよなら2019年。

2019年12月29日日曜日

強権国家同士の団結


28日の報道によると、国連総会で、ロシア提案による、サイバー犯罪に関する決議が、79-60で、採択されたそうです。サイバー犯罪の防止は喫緊の課題だし、一見良いことのように見えます。しかし、技術的なことはわかりませんが、人権活動家グループは、サイバーテロに乗じた、表現の自由の圧迫を危惧しているといいます。詳しい対策手順は、20208月にニューヨークで検討されるそうですから、しっかり議論してほしいと思います。

私が、この記事に注目したのは、実は別のことにあります。このロシアの提案に対し、賛成国と反対国を並べてみます。

賛成国 ロシア、中国、インド、ベラルーシ、カザフスタン、シリア、エジプト、北朝鮮などの79か国
反対国 米国、フランス、ドイツ、英国、カナダ、ウクライナを含む60か国

ここで、賛成国には、強権的な国家が多いし、賛成多数だったということは、ここに出ていないアフリカ等にも、賛成国が多かったのだろうと、想像できます。

今まで、国連は、アジアや中南米、アフリカ等独立国が増えたおかげで、核や気候変動などで、大国の横暴をチェックする、頼もしい役目を果たしつつあります。しかし、こうした開発途上国の中には強権政治の国も少なくありません。そうした国々が、中国やロシアの主導のもと団結して、国連の場で、強権的手法を世界に広める一大勢力になったとしたら!考えるだけでも恐ろしい、しかし、ありえないことではない、今回の一件は警告なのかもしれません。

2019年12月27日金曜日

豊かさの高い代償

スーパーやコンビニには、驚くほど多種類の食べ物や商品が並んでいます。よくこんなに管理できるな、と感心します。しかも、それらの数は時々刻々減ってゆきます。それを、過不足なく補充する、その補充のもとをたどると、世界のサプライチェーンまで広がるのです。そして、それを支えるために、輸送システムと情報システムがあります。時間や人件費の無駄を最小化するため、血のにじむ工夫努力が求められます。こうして達成される高い効率、これこそが、他社との競争に打ち勝つコストダウンの秘密です。

昔、チャップリンの映画で、モダンタイムズという映画がりました。そこでは、ベルトコンベアで、流れ作業の労働の場面があります。次第に、ベルトの速度が速くなり、作業する労働者は、それに合わせなくてはなりません。一人がしくじると、作業がストップして、みんなに迷惑がかかるので、みんな必死です。今の日本の「便利」という豊かさの陰では、見えないベルトコンベヤーが、流れていて、労働者も、家族も学生も、みんな、その高速な速さにあわせようと、きりきり舞いしているのではないでしょうか。

私たちは、豊かさや低価格を求めるうちに、いつの間にか高い代償を払わされてはいないでしょうか。現在、脱プラスチックの運動が広がっていますが、いずれ、脱「便利」の時代がやってくるのではないでしょうか。

2019年12月26日木曜日

ゆとりのない日本人

台湾に一週間程、滞在型の旅行した人から、台湾の生活がのんびりしていてよかったという話を聞きました。言い換えると、日本はせかせかして余裕がありません。そんな日本の異常さを私は、以前にブログで書きました。⇒人間がこわい その時は、その原因がわかりませんでした。

しかし、数日前、テレビのNHK番組「東京リボーン」を見ていて、原因の一端がわかった気がします。日本の高度で便利な消費生活は、綱渡りのような精密マシーン、世界サプライチェーンによって支えられているのです。

例えば、コンビニのおにぎりは、まずチリの養殖場で作られた均等に切られた鮭の切り身の巨大パックが、タイに運ばれ、そこでは、巨大な工場で、鮭のおにぎりが作られます。それらは、きれいに包装され、東京港に運ばれます。すると、そこには、コンテナ運搬のトラックが待っていて、それに積まれ、東京その他に、運搬されます。こうした連携プレーが、世界的規模で、寸分隙なく、行われます。そうすることで、大量生産、大量運搬が、実現されます。
昔は大量生産とは車など、高コスト商品でした。しかし、鮭おにぎりのような、ちっぽけなものまで、それができているのです。(続く)

2019年12月24日火曜日

クリスマスが静かだ

先週、サンデーモーニング司会の関口氏が、今年は、例年に比べ、クリスマスの商戦が静かだといってました。そういわれると、私の周囲でも、確かにそうです。まず、ジングルベルの歌をほとんど聞きません。今日夕方街を通りましたが、いつもならコンビニの店外に売り子さんが立って、ケーキを売っている光景がありませんし、店内も静かです。さすがに、ケーキ屋さんでは、列ができていましたが。今朝の朝7時のニュースでも、クリスマスは話題になってませんでした。

この異変はなんだ!帰りの道すがら、ずっとこのことを考えてしまいました。次は、私が勝手に考えた異変の理由です。生活が豊かで多様になり、毎日様々なイベントがあります。スポーツ、芸能、映画等々、クリスマスも、唯一のビッグイベントでなくなり、選択肢の一つになってしまった。しかし、小さい子供のいる家庭や子供にとっては、ビッグイベントでしょう。しかし、クリスマスの楽しみ方も、豪華なケーキというのは、一つのオプションにすぎず、予算配分や栄養バランスを考えて、様々な御馳走に重点を置くとか、要するに、自分流のやり方をアレンジするようになっているのではないでしょうか。それに加えて、高齢者、一人暮らし、共働き世帯が増えて、相対的に、クリスマスを楽しむ人口割合も、減少していると思います。

誰もが同じものを消費する大量生産の時代は終わり、それぞれが自分の好みを選ぶ豊かな時代になりつつあるのだとすれば、それはいいことだと思います。

2019年12月22日日曜日

民営化は善か

簡保生命が、多くの年寄りを騙して勧誘したとして、問題になりました。郵政民営化によって、利益追求が優先された結果です。公共事業だった時代、郵便局は、地域コミュニティのインフラとして、重要な役割をもっていることは、郵政民営化の大論争の当時から指摘されていました。営利会社になって、営業成績を上げるため、局員は厳しいノルマを押し付けられ、良心を捨てる競争を強いられました。民営化は、働く人間も、地域も不幸にしました。

かつて、民営化が盛んに推進された時代、なんでも民営化がいいように言われましたが、今、その反省や総括をする時ではないでしょうか。ヨーロッパでも、様々な民営化した事業が、再公営化していると聞きます。例えば、フランスでは、民営化した水道事業が、パリ、グルノーブル、ニース等100か所以上で、再公営化しているということです。ノルウェーでは、民間ごみ処理企業の経営破綻が、137自治体で起き、民営化は安価でも効率的でもなかったという結果を生んでます。

住民の福利サービスは、本来的に、金を度外視するからサービスなのであり、儲けと両立できないものではないでしょうか。

2019年12月21日土曜日

低軌道人工衛星

低軌道の人工衛星が、これから通信その他、大いに活躍する時代が来るといいます。すでに、イーロン・マスク氏のスペースX社は、一万個の衛星打ち上げを目指し、相当数打ち上げているといいます。世界中で、こうしたことをすれば、夜空には、人工衛星が飛び交い、その明るさで、星がみえなくなるだろうという話をどこかで読みました。

今でも、明るい照明により都市部では、星はあまり見えません。それでも、目を凝らせば、シリウスやベテルギウス等冬の星座が見えます。山間部に行けば、美しい北斗七星が見えます。しかし、これらがすべて失われるかもしれません。そうなったとき、うしなったもののありがたさを初めて痛感するのでしょうか。近い将来、「夜空に星が見えるなんて、そんなのどかないい時代があったんだ」と、うらやましむ時代がくるのでしょうか。


2019年12月19日木曜日

水害+泥害

日本中の砂防ダムが、流れてきた泥の沈殿で浅くなり、貯水のキャパが低下し、このままだと、ダムの役目が果たせないというニュースをどこかで見ました。この対策には、ものすごいお金がかかるでしょう。
しかし、さもありなんという気がします。今回の台風の河川決壊による被害を見ると、どの家屋も泥に埋まってました。これから類推すると、ものすごい量の泥が、上流の山から流れてきたことは、容易に想像できます。ということは、想像するのも恐ろしい程、山が削られているいえます。そういえば、今回の台風で、山肌の崩落が多く、それは、十分調査されていないが、森林の皆伐の影響が大きいだろうというニュースも、どこかで見ました。

政府の、経済的採算を優先する森林政策のため、皆伐のあと、植林をしておらず、はげ山が増えていると聞きます。今回の泥害が、こうした政府の、目先のことしか考えない政策の結果なら、泥害も又人災といえるでしょう。政府が、きちんと出費すべき植林政策をケチった結果、何倍もの出費となって、結局は国民にツケが回ってくる、愚かしいこと∞です。

政府の森林政策は、私の⇒森林を守れも、ご参照ください

2019年12月18日水曜日

習近平体制

中国は、アメリカに追い付き追い抜くほどなのに、一方で、ますます習近平の独裁的政治が際立っています。香港や、ウィグル自治区で、政治的抑圧に苦しむ人々の声は、抑えきれない程激しくなっております。昔、鄧小平氏が、改革開放の政策に舵を切り、市場経済の導入を始めた時、世界は歓迎し、自由主義経済が浸透すれば、いずれ自由と民主主義も進展するだろう、と楽観的な期待もありました。ところが、そうはなりませんでした。

商業の世界は、お金の力がすべてですから、平等が原則です。徳川幕府が滅んだのも、貨幣経済が発達しすぎたからです。ところが、中国の強権力体制は、貨幣経済が発達しても、弱まりません。なぜでしょうか。ここからは、私の勝手な推理です。

習近平氏が、権力を集中する過程で、激しい反腐敗運動があり、政界の大物が次々失脚しました。あれは、実は、本当のターゲットは、政界の大物ではなく、わいろを贈る側つまり、大資本家だったのではないでしょうか。つまり、中国に大資本が育ち始めた時、資本は次第に力を得て、政治家をお金の力で抱き込もうとしたでしょう。ここに、資本と権力の覇権争いが生まれたと思います。習近平氏は、反腐敗のキャンペーンのもと、資本を政治の支配の下に置くことに成功した、それが事の真相だったのではないでしょうか。

貨幣経済と強権政治が両立可能である、そういう極めて特殊な政治手法を生み出した、それが習近平体制ではないでしょうか。


2019年12月17日火曜日

特攻隊員の死

NHKのEテレで、NHKのディレクターかなんか忘れましたが、女の方が、自分の祖母の兄が、特攻隊で死んだが、死亡通知が来ないままになっているのを、その経緯を調べる番組をしていました。若い命が、愚かで無謀な軍の作戦によって失われる悲劇が、静かで最小の言葉で、語られていました。

一つちょっと、引っかかる箇所がありました。敗戦が決まったのに、「一矢も報いないで、このままでは終われない」という上官に従って、多数の若者が、攻撃の途にたち、あたら助かった命を、むざむざ失ったという痛ましい事実があったようです。どうやら、自分の兄は、その一人ではないか、という話の中で、祖母が、思わず「犬死にだ」と叫んだ時でした。祖母の兄が、「それは、今の価値基準で考えるからだ。本人の痛ましい死を前に犬死などと言ってほしくない」と激高する場面がありました。

この若者は、ずっと天皇制教育を受け、天皇のために死ぬことが、崇高なことと、おしえられてきました。だから、若者は、死の恐怖を乗り越え、純粋に崇高な気持ちで行動したのでしょう。それを、今の人が、犬死にだ、と言えば、違和感を持つ人もいるでしょう。しかし、犬死といおうが言うまいが、そんなことは問題でありません。問題は、このような死を、絶対繰り返すことが許されないということ、これに尽きます。

追伸2019.19.20)安倍憲法改憲を許したら、それこそ、特攻隊は犬死になってしまう。

2019年12月16日月曜日

ガバナンスとガバメント

昨日のサンデーモーニングで、コメンテーターの姜尚中氏が、政府が時々使用する「ガバナンス」という言葉に、おかしいといっていました。ガバナンスとは、会社のCEOが使用する言葉であり、公的機関で使用するのはおかしいと。そのせいで、若者は、政治を、会社のCEOがするのと同じ、上位下達のシステムだと思っているという。確かに辞書を引くと、governanceは管理、  governmentは行政 とあります。大切な指摘だと思いました。

ついでに、governor(governess)は、日本語では知事ですが、逆に言うと、知事とは、統治する者、つまり選挙で選ばれたその州(日本でいえば県)の人民代表(governnor)です。だから知事は県民に直接の責任を負いながら、県民の意思を代行する義務があります。例えば、度重なる選挙や、県民投票で示された新基地反対の沖縄県の意思は、神聖なものであり、敬意をもって扱うべきで、国家といえども、今の安倍政権のような、やりたい放題は許されないことは明らかです。

2019年12月15日日曜日

中村哲さんの死

ペシャワール会を拠点に、アフガニスタンで、医療活動や灌漑設備の作業を指導して、多大な功績をあげ、現地の人たちに深く敬愛された医師中村哲さんが、銃撃で亡くなられました。メディアも、この訃報とともに、中村さんの功績を振り返ったり、識者が、追悼の気持ちを述べたりしました。しかし、私は、報道に接しながら、違和感をぬぐえませんでした。

危険な場所で、日本人も少ない中で、お金だって十分ない中で、73歳にもなって、まだ第一線で活動していました。こんなに日本中が悲しむのなら、どうして、今も彼は、第一線で活動せざるを得なかったのでしょう。それは、とても危険で、普通の市民が簡単に参加できるものではなかったでしょう。これほど、必要とされていることなら、本当は、国家が、専門の部隊を、送るなりして、中村さんらを援助すればよかったと思います。

だから、僕は嘆く前に、メディアは、本当は、政府がやるべきことを中村さんがやってきた、という重大な問題を、提起してほしかったのです。中村さんの遺体が飛行機に乗るとき、現地のガニ首相が、棺を担いでいました。日本の航空に出迎えた中に政府代表はいませんでした。安保法制により、アメリカと一緒に、世界の紛争を武力で解決する路線の、安部政権にとって、武器に頼ることなく、平和を目指すペシャワール会は、煙たい存在でしかなかったのでしょう。

前の天皇夫妻は、中村さんを皇居に招いたり最大のねぎらいの気持ちを表していたようで、天皇在位20周年記念式典にも招待されているようです。そうした関係もあるのでしょう、雅子妃は、先日、誕生日の言葉を述べられたとき、わざわざ中村さんの死に言及してました。こういう人は桜を見る会には決して招待されないのでしょう。

追伸12.29 japan teimes によると、中村さんの到着時、外務大臣が出迎えたそうです。テレビのニュースでは、そんなこと言ってなかったと思います。

2019年12月14日土曜日

家族共同体とは

近代とは、封建制度が、貨幣経済によって、崩壊して、資本主義社会になることです。貨幣経済は、一貫して、共同体を徐々に解体してきました。はじめは農村共同体、次に本家を中心とする氏族制度、次に大家族制度が次々解体して、今は核家族が当たり前です。これで、終わるのでしょうか。

共働きになれば、財布は二つです。貯金も二つかもしれません。又、独り暮らしを支える様々な便利なものがどんどんできています。又、ネットやSNAやゲームおかげで、一人が退屈ではありません。そのうち、AIの魅力的で、不平や文句をいわない女性(男性)が、一人暮らしの話し相手になってくれるでしょう。独身の若者が多いのは、今の非正規雇用やワーキングプアが主要原因でしょうが、シングルマザーの人の話もよく聞きますし、若者の独身志向は、こうした、共同体の解体のプロセスではないと、断言はできないと思います。

今迄は、種の保存という最重要な課題は、家族という共同体に、丸投げされていました。しかし、家族共同体は、永続的なものと信じる理由を私は見当たりません。人々が、子育てを、喜びというより、重荷と感じて、家族を選ばず、自由気ままな一生を生きることを選び始めた時、社会は、子育てを、家族の手から国家の事業として、実行しなくてはなりません。もしかすると、今すでにそんな時代がはじまっているのでしょうか。

2019年12月13日金曜日

ワンパターン

ブログを書くときは、思いついたことを一気に書き、事実関係はグーグルで確認しながら、30分くらいで仕上げます。最近、グレタさんのことや国語力のことを書いていながら、どちらも、おしまいには安倍政権批判になっていることで、ワンパターンみたいで、ちょっと反省しました。

江戸時代の狂歌で、最後に「それにつけても金の欲しさよ」を付ける話をおもいだしました。こうすると、あーら不思議、大抵の上の句に合うようです。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 それにつけても金のほしさよ
 
理由は簡単です。江戸の庶民は、貧しく、いつもお金のことが頭を離れないという悲しい現実があったということでしょう。しかし、それから数世紀後、スマホの時代の今も、その現実はあまりかわっていないのではないでしょうか。他人ごとでありません。
 

僕は、毎日、何のニュースに接しても、しまいには安倍政権の不正、隠蔽、メディアへの圧力、憲法発言、権勢になびく見苦しい人たち、など不快のタネのオンパレードを思い出す悪い癖がついてしまいました。

枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ それにつけても安倍の憎さよ

2019年12月12日木曜日

グレタ・トゥンベリさんの怒り

グレタ・トゥンベリさんの、地球温暖化に関する国連総会での演説は間違いなく歴史に残る演説となるのではないでしょうか。最も重要な、たった一回のチャンスに、16歳の少女が、伝えるべき内容を、世界の大人を相手に、100%過不足なく伝えることができたことは、驚きです。彼女の、How dare you (よくもそんなことができたわね) という怒りのパフォーマンスも又、重要なメッセージでした。100の言葉を並べても表現できない、怒りによってしか表現できない、人類が直面している危機の深刻さを、彼女は、怒りで表現し、世界の行動に火をつけました。

しかし、怒りはある意味、相手を信頼する証でもあるでしょう。誠実のかけらもない安倍政権には、もはや、そのような怒りすらわいてきません。

2019年12月11日水曜日

小泉環境大臣の失態

日本のメディアは、地球温暖化問題の正しい報道を、今まで、一貫して怠ってきました。そして、口を開けば、日本の優れた省エネ技術などと、環境先進国であるかのような、ウソで美化した日本を、国民に植え付けてきました。しかし、11月からの国連総会やCOP25 を通じて、日本の二酸化炭素削減目標がいかに他国に比べ低くやる気がないものか、とか、「効率の良い石炭火力」がどれほどゴマカシか、「美しい言葉はもいいらない、行動の提案を」とのグテレス国連事務総長により、安部氏は発言の機会を得られなかった、等、隠しおおせないほど沢山のウソが次第にバレつつあります。不名誉な化石賞をもらったなどと、さわいでますが、今まで報道しなかっただけで、日本は以前から化石賞の常連国です。

しかし、私が一番驚いたのは、こうしたウソの日本の姿を、小泉環境大臣も、信じていたらしいことです。少し、まともに、環境問題に関心を持っていれば、世界における日本の、温暖化対策が、いかに遅れていて、世界の舞台に行けば厳しい追及にあるだろうことは十分予測できたはずです。その準備がまるでできていませんでした。環境に悪いことを、カネのために、悪いと知ってやっているなら、記者の追求に、もっとうまい答えができたでしょう。しかし、どうやら、日本の政治家は、悪いことを悪いと知らずに、ただただカネのためにやっているようです。これのほうがずっとおそろしい。

2019年12月10日火曜日

公文書と安倍政権

いまさら、言う気にもなれませんが、この政権の公文書の扱いに見られるモラルの崩壊は底なしです。公文書は、人々の知る権利として、民主主義の基礎です。また、後世にとっては、歴史の一部であり、神聖なものです。こうしたものを自分の利益の為に、廃棄したり改竄することは、国民全体に対する最も罪深い犯罪行為でしょう。

自由と民主主義の正反対みたいに言われる旧ソ連ですが、そのソ連は、崩壊後、内部文書を正直に公開しました。それは、徹底したもののようで、英雄だったレーニンによる農民弾圧の事実までが、明らかにされました。ヨーロッパや日本などによる、革命干渉や食糧難など理由があったにせよ、当局にすれば、最も隠したい不都合な真実だったはずです。自国ソ連の失敗を、二度と繰り返さないために、歴史の資料にしてほしいという願いが、文書の公開をさせたのではないかと思います。おかげで、ここから引き出される教訓は、掛け替えのない貴重な価値を持つでしょう。

それに引き換え、日本軍は敗戦が決まるや否や、すべての公文書を、焼却しました。悪事を働いた自覚があるから、戦後の裁判を恐れたのでしょう。それをいいことに、「国が慰安婦に関与したなど、どこに証拠があるのか」などと言うのが、安部氏ら靖国派です。歴史を直視せず、自分に都合のいい事実だけをつまみ食いして、「日本は、朝鮮のためにいいこともした」などと主張する歴史修正主義に同調する安部氏にとって、公文書の隠蔽、破棄、改竄など、何でもないことなのでしょう。

2019年12月7日土曜日

トランプ主義とは


トランプ主義が世界に広がっているのではないか。東欧、ドイツ、ブラジル、その他、様々な国で。トランプ主義は、ナショナリズムと単純に言えない、ファシズムと単純にいえない、よくわからない、しかし、自由主義や民主主義を軽視し、反移民、人種差別、みたいな、何かが世界に広がっています。その正体を見極めるひつようがあります。

ISみたいなテロ集団ではない、しかし、今までの民主主義の制度に対して、不信を持っているようにも見えます。こうした力が世界に広がることは、恐ろしいことです。アメリカでは、グローバリズムの中で、資本主義が強くなりすぎ、逆に弱者の側に立つ勢力が弱すぎ、今までの民主主義的運動にうんざりした人たちが、トランプ氏やB・サンダース氏の人気につながりました。類似のことが世界でおきているのでしょうか。

イルコサーシャ・コワルチュクというドイツの歴史家が、次のように言っているそうです。東ドイツのネオファシズムについて、語ったあと、・・・さらに、米国のトランプ大統領やブラジルなど世界的な現象です。これは反グローバリズム・反ヒューマニズム・反西欧・人種差別・民族主義・ファシズムの運動です。それは抗議ではなく、民主主義と自由に敵対する運動だと明確に認識しなければなりません。民主主義者のすべてが団結して立ち向かわなければ、深刻な事態になります。

2019年12月6日金曜日

国語読解力の低下

OECDを含む、79か国の15歳生徒60万人を対象にした国際学力テストで、科学や数学では優秀な成績だった日本の児童の国語読解力が低かったことが話題になりました。2015年では8位だったのが、今回は15位だそうです。なぜ話題になるかといえば、多くの人が「やっぱり」と思うからではないでしょうか。スマホによる、読書離れ、直接対話の減少など、いくらでも、原因はありそうです。

話は別ですが、来年度から、高等学校の国語の学習指導要領が、新しくなります。そこでは、従来の文学の読解力などより、マニュアルや契約書の読解力が重視され、論理国語という科目まであると聞きます。

国語力とは、言葉を操る力であり、それは、自分の気持ちを、正しく伝えることが原点ではないでしょうか。しかし、国会では、言葉が、言葉として使用されていません。安倍総理が「丁寧に説明する」とか、「法に従ってしっかりやってゆく」という時、言葉は、何も語らないための手段です。こうしたことは、伝染するのか、横浜の林市長も、カジノについて、一切の対話を拒否して、「丁寧に説明する」といってました。

この人たちにとって、人間としての誠実さを学ぶ文学などよりは、「論理国語」で、木で鼻を括るような、又はボロが出ないように話す技術の方が、「実用的」に見えるのでしょうか。

2019年12月5日木曜日

日本人は、まだ未成熟だ

私が、日本の良さを再発見すべきだという時、何もナショナリズムの感情をいっているのではありません。歴史認識で共通基盤を持てないのは、どちらも、どこかで、借り物の知識で議論していないかを問うているだけです。

青春期になった若者が自我に目覚めて自分とは何かを問うように、日本人とは何者かを考えるべきだと思います。

例えば、武士道、サムライについて、考えます。数理経済学者の森嶋道夫氏は、道徳規範としての武士道にひかれていたようです。武士道は、ラストサムライなど、ハリウッド映画では、立派な国際ブランドです。確かに、黒沢明氏が描いた七人の侍の人たちは、人間としての魅力があり、僕も誇らしく思います。しかし、武士道の欺瞞性、偽善性が描かれた映画も沢山あります。
江戸庶民は、忠臣蔵を愛しましたが、それは何も、「忠義の心」という武士道を愛したのではなく、その底にある、人間としての誠実な生き方を愛したのだと思うのです。武士道ひとつとっても、様々な評価があります。その中から、日本人が、育てて今なお大事にしているホンモノの普遍的価値があると思うのです。それは、丁度、芭蕉が、日本人のある種の美を発見して、その美に「わびさび」という言葉を与えたような、創造的作業を要するでしょう。
(一部内容を変更しました2019.12.8)


2019年12月4日水曜日

日本人のアイデンティティ3

靖国派の人たちは、明治時代を栄光の時代と見ます。しかし、憲法擁護派の人たちは、明治は、そのあとの、侵略戦争につながる天皇制強権政治の始まりと見ます。まるで、正反対です。それなら、共通基盤として、江戸時代に戻ってみるのは、どうでしょうか。

江戸時代は、日本が世界に誇るような文化が花開いた時代です。何より長い期間平和でした。鎖国をしてましたが、長崎出島を通じて、蘭学など、西洋の学問は取り入れておりました。高い町人文化開花しました。儒学など、モラルもありました。列強が清を侵略したり、黒船が来たりして、国家が危機に陥った時、高杉晋作や坂本龍馬のような、多数の傑出した人材が活躍できたのは、それだけの基盤があったからでしょう。私の歴史の知識では、とても無理ですが、現在の日本の原点を探そうとすれば、それは、天照大神などではなく、江戸時代ではないでしょうか。

幕末の開国で日本に来た外国人は、日本の文化の高さや、街の清潔さ、子供を大事にする文化など、強い印象を与えたといいます。


2019年12月3日火曜日

日本人のアイデンティティ2


私は、日本人の西洋コンプレックスは、明治以降、根強く今も残っていると思っています。だから、イチロー選手や大谷選手が活躍すると、異常なくらい喜ぶのだと思います。一方、韓国や中国に対しては高飛車です。

明治時代、文明開化が始まったばかりの頃は、西洋コンプレックスはもっと強かったのは、やむを得なかったでしょう。あの、夏目漱石だってそうでした。「三四郎」という小説で、田舎から汽車で上京中の主人公に、「先生」という人が、つぎのように、述べています。

・・・いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。・・・まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない・・・

今、日本が、長い時間をかけて、西洋に追い付き、追い越せと、シャカリキに努力し、

経済的には何とか追い付いた今、冷静に考えると、私には、日本には、富士山いがいに、

自慢するものは、沢山あるのではないか、それに気づかないだけだ、と思います。

例えば、日本人の「和」は、平和とも少し違う、味わい深い意味があると思います。又は、「もったいない」というような、日本人のつつましい生活態度、日本人の繊細な美的感覚、これらは、西洋の文化とは別の、日本独自のもので、これからの、平和や環境の問題解決へむけて、日本独自の貢献ができるかもしれない、世界に通用する立派な文化価値をもっている、と思います。(続く)

2019年12月2日月曜日

日本人のアイデンティティ

憲法をめぐる対立の背後には、安倍総理もその一員である、靖国派というイデオロギー集団があります。戦後長い間、護憲派と改憲派との対立は、外交、歴史、等をめぐって対立してきました。私は護憲派として、靖国派の、歴史をゆがめたり、憲法を順守しない姿勢には、腹がたちます、しかし、どちらでもない、多くの人は、両者の議論はお互い相手を批判するだけで、議論がかみ合うこともなく、深まることもないことに、冷めた目でみているのではないでしょうか。なんとか、もっと、議論がかみ合って、議論が生産的に深まるようにできないでしょうか。

アメリカ人なら、対立があっても、独立戦争の時代にさかのぼることで、自由や平等の理想に燃えていた共通の理念を思い出すことで、それが、対話の共通基盤となります。イギリス人なら、第二次世界大戦で、チャーチルを中心にヒットラーを闘ったこととか、トラファルガー海戦でナポレオンを破ったことなど、かもしれません。

日本には、そういった、建国のような原点があるでしょうか。明治維新は、近代国家の出発だったとしても、それは、天皇制の軍国主義国家だったので、建国の原点にはなりえません。敗戦は、戦後民主主義の出発であり、平和憲法の出発でもありますが、誇るべき建国の原点とは言えないでしょう。では、本当にないのでしょうか。私はそうではないと思います。(続く)

2019年12月1日日曜日

徴用工問題の世界史的意味

今月の12日には、イギリスのEU離脱をめぐって、総選挙が行われます。その中で、野党労働党党首 J・コービン氏の選挙公約の中に、興味深い項目を見つけました。それは、

現在中東やアフリカなどの旧イギリス植民地で、今なお紛争が続いていることに対するイギリスの責任を見直す、というものです。そして、英植民地での戦争に動員された黒人やアジア人への謝罪と、動員解除時の支払いの差別への補償をする・・・というものです。

今年は、1919年にインドで起きた、「アムリツァル虐殺事件」から丁度100年ということです。非武装・非暴力のデモ隊市民1500人が、イギリス人が率いるイギリス領インド帝国軍によって、一斉に銃殺されるという悲惨な事件でした。メイ首相は「英国の恥ずべき傷」と述べましたが、謝罪はしていないそうです。

1919年といえば、日本の植民地化に対する抵抗運動が、朝鮮では 3.1事件(万歳事件)、中国では、五四運動が起きた年でもあります。

そして、今日本では、徴用工問題として、尾を引いており、イギリスでも、選挙の野党側の政策になっています。過去の清算を求める動きは、世界の動きとして、今後もつよまるのでしょう。安倍氏のように、「完全不可逆的に解決した」などでは決してないということです。