江戸時代の狂歌で、最後に「それにつけても金の欲しさよ」を付ける話をおもいだしました。こうすると、あーら不思議、大抵の上の句に合うようです。
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 それにつけても金のほしさよ
理由は簡単です。江戸の庶民は、貧しく、いつもお金のことが頭を離れないという悲しい現実があったということでしょう。しかし、それから数世紀後、スマホの時代の今も、その現実はあまりかわっていないのではないでしょうか。他人ごとでありません。
僕は、毎日、何のニュースに接しても、しまいには安倍政権の不正、隠蔽、メディアへの圧力、憲法発言、権勢になびく見苦しい人たち、など不快のタネのオンパレードを思い出す悪い癖がついてしまいました。
枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ それにつけても安倍の憎さよ
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