2019年8月31日土曜日

日本独自外交のチャンス

トランプ氏があまりにも、常識や良識から外れているため、同盟国との結束は崩れつつあります。パリ温暖化条約の脱退とか、イラン核合意の離脱とか、その異常さは、ヒットラー並みです。トランプ氏があまりにも、最悪であるため、とかくアメリカ追随と批判されてきた安部氏には、独自外交のチャンスがめぐってきているともいえます。

例えば、勝手にイランとの緊張関係を作り出しておいて、今度は、ホルムズ海峡を守るためと称して、多国籍軍による警戒活動を呼びかけました。イギリス、オーストラリアは同調しましたが、日本は、仏独と同じく、アメリカに距離をおいています。というのも、安部氏は、ついこの間6月にイランを訪問して、最高指導者ハメネイ氏とも会談するという、良好な関係を持っているからです。アメリカはシェールオイルのおかげで、石油を自給できますから、アラブを敵に回すことができます。しかし、石油を中東に依存する日本は、そうはゆきません。

米中の覇権争いの中で、中国もまた、日本に接近してきています。一方、北朝鮮が中距離ミサイルを飛ばしても、トランプ氏は、自国は安全だとばかり、北朝鮮の実験を許容しています。本当なら、同盟国の日本や韓国の側に立って強く抗議すべきです。ここには、トランプ氏の、アメリカファースト、同盟軽視のメッセージが込められています。

日本は、少し腰を据えて、冷戦時代から続いている、アメリカ追随外交を、見直すチャンスではないでしょうか。




2019年8月30日金曜日

休み明けの子供の自殺

夏休み明けに、子供の自殺が、急増するといいます。楽しい休みが終わりに近づくにつれ、憂鬱な気分になるのは、大抵の児童がそうなのではないでしょうか。私も、同じでした。休み明けの登校初日は、とても緊張しました。あの気持ちを今思い出すと、学校がなぜかこわかったのではないかと思います。夏休み、自分は遊びほうけてしまった、それが罪悪感みたいになって、自分は犯罪者で、学校は今にも、それを見ぬいて、懲らしめられるのではないか、そのような危機感がありました。しかし、初日が無事に何事もなく過ぎると、とても安心し、閻魔大王から解放された気持ちで、下校したことを覚えております。あれはいったい何だったのでしょう。

子供は、肉体的にも精神的にも、弱者です。しかも、子供は、自分が困っているとか苦しんでいるとかを、周りに訴えることができず、大人が保護しないと、一人で苦しむことになります。国連では、そうしたことから、「子供の権利条約」を定めています。しかし、日本で、いじめの問題など、色々な機会にこの条約はあまり語られません。

今、日本では、ようやく、労働者、障碍者、女性、など様々な社会的弱者の権利が議論されるようになってきました。次は、自分の権利を主張する力を持っていない子供の権利を大人が、問題にしてあげるときではないでしょうか。
現在学校には、細かい沢山の規則があり、海外帰国子女やその親はびっくりするそうです。下着の色まで指定するブラック校則や、厳しい部活動等々。子供の人権や人格の尊重は、大人が意識的に守らないと、まもることはできません。


2019年8月29日木曜日

リクナビ事件に思う

新卒採用を担当する企業の人事課にとって、せっかく採用合格とした就職内定者に、他の企業に逃げられることは、頭の痛い問題でしょう。そういうわけで、求職中の学生が、どの程度内定を辞退するリスクがあるのか、は、お金を払っても知りたい情報でしょう。

最近問題になったリクナビは、個人情報を、本人の許可なく利用して、AIを用いて、学生の内定辞退率を算出し、それを、企業に売り出したといいます。私が、7月31日のブログ「マイナンバー制がこわい」で、指摘したことが、現実となりました。

今回は、批判され、リクナビは謝罪しましたが、AIによる、個人の様々な評価は、今後、一層増えるのではないでしょうか。AIによって、個人に「客観的」点数をつけ差別化することをスコアシステムといいアメリカでも、有望なサービス営業として広まっているということです。数字にすると、人はどこかで、それを信用したくなります。

日本でも、みずほ銀行とソフトバンクの合弁会社Jによる、信用力採点システム、Jスコア
LINEは、オンライン家計簿や決済サービスデータをもとに、ライン・スコア、NTTドコモもドコモスコアリング、ヤフーもヤフースコアのサービスを開始しているそうです。私たちが知らない間に、データーによって、人生を左右されているかもしれません。

個人は一方的にスコアリングされるばかりでは、つまりません。逆に、私たちが、政治や企業をスコアリングするのはいかがでしょうか。例えば、企業の、環境問題貢献度、ブラック度、によるスコアリング、政治家の、政治資金の集め方や、議会での質問回数などによる政治家のスコアリング等々。



2019年8月28日水曜日

株主第一主義を改めよ

アメリカの格差反対の運動が、ついに、アメリカのトップを、揺るがそうとしています。報道によると、米主要企業の経営者団体、ビジネス・ラウンドテーブルは19日、「株主第一主義」を見直すといいだしました。どういうことでしょうか。

現在のような新自由主義経済の以前と新自由主義の現在の、企業収益の分配は、次のようです。

1980年代初頭(新自由主義以前)  株主 50%  労働者、社会へ還元 50%
2007~現在(新自由主義)     株主 93%     労働者、社会へ還元 7%

この結果、CEOの収入は、40倍に増えたそうです。この労働者資本家の配分比の劇的シフトは、新自由主義経済の名のもとに、派遣などの低賃金、大企業への税制優遇、少ない税収と福祉切り捨てとなって、実現されました。つまり、格差社会の根源が、この配分比です。一枚のパイの大部分を資本家が分捕り、残りのわずかなパイを、大勢が分け合う構図が、ここにあります。

おりしも、政府は、参院選が終わるのを待っていたかのように、私たちの年金は、まだまだ下がるという「予測」をしました。おおもとの、資本家と労働者の配分については、何一つ語らず、ただただ、予算が少ない、だからやむを得ない。そうではありません。はじめから、資本家と労働者の配分比がおかしいのです。日本も株主第一主義を改めるべきです。

2019年8月27日火曜日

横浜にカジノはくるな

横浜市の林市長が、IR(統合型リゾート)、つまりカジノの候補地として、ついに手をあげました。いよいよ本命の登場という雰囲気のようです。アメリカの大手カジノ業者は、早速これに反応して、今までの予定地の大阪をやめにして、関東に鞍替えするとの報道もなされました。林市長は、1200億円の税収を見込まれるといってます。

賭博という違法行為を、公共機関が行う、ギャンブル依存症を増やす、カジノを、一部の人間の金儲けのために、強行する、安倍政権が2016年に、国民の反対を押し切って通したIR法、すべて、胸が悪くなるような、不正と悪の連続です。林市長は、市長選挙では、カジノにはだんまりを通し、チャンスをうかがっていたのでしょうが、市民を愚弄する、民主主義に反する、安部氏と同じ手法です。

横浜を本当に大事に思う地元の人たちは反対しています。横浜港湾協会の藤木幸夫会長は、怒りをこめて、体をはってでも阻止するといってました。IRが狙い当てにする、横浜の観光的価値は、港よこはまを愛する住民が、長い時間をかけて作り上げてきたものです。またそれを支えたのは、港で働く多数の港湾労働者やその家族です。そうした住民の公共の財産を、海外の大資本が勝手に入り込んで、強奪しようとしています。


2019年8月26日月曜日

AI兵器に関する国際合意

人工知能が自律的に兵士となり人を襲うというAI兵器は、従来の兵器とは、質的に異なる恐怖を感じます。その恐怖の本質は、自在に空間を移動でき、容赦なく攻撃する、物理的能力というより、その際、殺すこと以外何も考えない、擬人化された冷酷なAIの「意思」が、こわいのではないでしょうか。ハリウッド映画の格好の材料です。イーグルアイ、イリジウム、オブリビオンとか、限りなくあります。しかし、本当に残虐なのは、その擬人化された意思の背後に潜む、「人間の意思」とみるべきではないでしょうか。

今回、このAI兵器に関する初の国際的指針が合意されたといいます。
・攻撃判断の責任を人間や政府が負う。
・兵器使用時に、国際人道法を順守する。

米ロなどの反対の中での、苦労の末の合意なのでしょうが、AI兵器の全面禁止を求めるNGOからは、強制力もないし、まだまだ不十分であるとの批判もあり、今後2年間さらなる議論により具体化をすすめるということですから、今回は第一歩というところなのでしょう。
人間がマシーンに追われ、殺される、そこまで「人間」が貶められることを、私たちは決して許してはならないと思います。

2019年8月25日日曜日

食料自給は安全保障の基本

食糧自給率が、また下がったと報道されました。2018年度のカロリーベースで37.37%で、これは、前年より1%の減で、大冷害があった1993年より少ない過去最低の値ということです。安倍政権は、食料自給率を2025年までに45%に引き上げるといいました(2015年)。しかし、どれほど本気なのでしょう。現在のアメリカとの貿易交渉では、アメリカから農産品をもっと輸入しろという圧力に押され、自動車の輸出と引き換えに又も、輸入枠を増やそうとしています。食料自給率は下がるばかりです。

地球温暖化のため、世界の食料生産量は、下がるといわれています。世界中で、食料が乏しくなった時、日本はどうするのか、食料は国の安全保障の根幹にかかわる問題です。
戦後の食糧難の時代、大勢が飢えや栄養失調で死にました。ひもじいことがどれほどつらいことか、私たちは、想像するしかありませんが、それは、そんな過去のことではないのです。

東日本大震災の時、原発事故が関東に及ぶかもしれない、という恐怖の中で、私の住む神奈川県ですら、スーパーやコンビニから、パンやカップ麵、バッテリーなどが、見事に消えました。あのようなことが、多くの食料で、長期に起きるとしたら。考えるだけで、恐怖です。

2019年8月24日土曜日

テレビは韓国が悪い一色

日韓問題、どのテレビをみても、悪いのは韓国で、日本は悪くないみたいな意見ばかりです。私は、そうでないので、少しでも自分の考えに近い意見を聞きたいと思うのですが、例えば、サンデーモーニングのコンメンテーターの青木理氏の意見は、共感できるのですが、それくらいです。私に言わせれば、青木氏の意見は、数少ない良識だと思っています。関口宏のサンデーモーニングは、全体として良識的番組なので、青木氏のような良識的な人をコンメンテーターにしているのでしょう。しかし、他の政治バラエティー番組では、誰もが例外なく、韓国は悪い、日本は悪くない、という人ばかりです。少数意見の居場所がない、同調圧力の世界を見ているようです。うんざりしている視聴者も多いのではないでしょうか。ここには、良い意味での、政治的中立などみじんも見られません。

報道機関は、健全な世論形成に重大な責任があります。今のような安易な放送態度では、多様な世論は育まれず、あたかも政府に都合の良い世論がすべてであるかのような、同調圧力の加担者でしかありません。これでは、健全な民主主義を死滅するでしょう。また若者はますますテレビから離れるばかりでしょう。

思えば、2015年、安保法制をめぐり、反対運動が国会や市民運動で激化する中で、はっきりものをいう論者が、次々メディアの舞台から追われ消えてゆきました。岸井成格、古館一郎、国谷裕子氏ら。それ以来、誰もはっきり政府を批判することができない、冬の時代が続いているということなのでしょうか。


2019年8月23日金曜日

韓国は本気だ

友人が、自分に本気で怒ったとすると、その友人の言葉を真剣に聞き、その言い分に対して同じ本気度で答えなかったら、友人との信頼関係を維持することは困難でしょう。本気で怒るのは、相手が友だと思うからであり、本気で訴えたいことがあるからです。

それが、今の韓国ではないでしょうか。なぜ本気か。それは、経済的利害や政治的打算ではなく(そんなものは本気で怒る理由にならない)、民族の誇りとかプライドにかかわる問題だからです。

徴用工問題で、韓国は、日本の中に、過去を反省しない傲慢な侵略者「日本」を感じています。だから、本気で怒り、「日本に再び負けない」と言っています。後に引きさがることは考えられません。

本気で訴えても、本気が伝わらない、これほど悲しいことはありません。日本は、その誠意を問われているのです。

よろしければ、こちらのブログも 生物と物質のはざま

2019年8月22日木曜日

香港の行方

香港が騒がしい。2014年の雨傘運動以来ずっと、規制を強める中国本国と、民主主義を守ろうとする香港との間には、不穏な空気があったのではないでしょうか。色々理由はあるのでしょうが、私は、中国の側に余裕がなくなっているような気がします。

中国の強権的な政治は、農村の極貧状態がある限り、正当化されるし、事実「国内問題だから外国は干渉するな」として、正当化してきました。しかし、高成長のおかげで、農村の極貧状態は、徐々に解消されつつあるのではないか。すると、もはや、民主主義をないがしろにした強権政治を正当化するものはありません。もともと、市場経済は本来、自由や平等の上に成り立つものです。マルクスですらも、市場経済を「人権の花園」と呼んでおります(もちろんここにはマルクスの皮肉がありますが)

こうした、中国の市場経済の発展が、国内の民主化要求を強め、その結果抑圧を強めざるを得ない、それが、今の中国ではないでしょうか。そういう国内状況では、香港に対しても、厳しくならざるを得ない、これがここ数年の香港の政治への干渉になっているのではないでしょうか。果たして一国二制度は、持ちこたえられるのか。

2019年8月21日水曜日

都市の燕に思う

先日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で、東京の銀座で燕が、一時絶滅かと思うほど減少したが、最近持ち直しているといっていました。その理由は、餌として、ミツバチが増加しているからだといいます。
なぜ、ミツバチが増加しているのでしょう。最近、ビルの屋上を利用して花や菜園を置き、加えてビルの冷却効果による省エネが期待できるといいます。そんな中、花が増えたことで、屋上を利用した養蜂も可能になり、おいしいハチミツを求めて贅沢な都会人たちが、あちこちで養蜂を始めているということです。

つまり、大都会⇒緑化⇒養蜂⇒燕の増加

これは、都市化という、反自然的現象(ビル)が、自然(燕)を復活させている、という逆説が起きていることを意味します。

私たちは、自然の中で、自然に生かされてきました。しかし、今は逆です。自然は、社会に生かされようとしています。人間の贅沢を満たす手段として、社会の中で自然は生かされようとしています。

遠い将来、自然はすべて破壊しつくされたとき、人間は、贅沢の手段として、人間のエゴイズムに合致する自然だけを再現するでしょう。いやそれはすでに始まっています。トキなど絶滅危惧種を必死で復活させようとしています。蛍を呼び戻そうとしています。「やっぱり自然はいい」等と言いながら。自然はそのようにしてしか生き残れないのでしょうか。燕の増加は、そのような悲しい自然の運命を象徴しているように思いました。

2019年8月20日火曜日

INF条約の失効

中距離の弾道ミサイルを全廃することを目的とする中距離核戦力全廃条約INF(1987年米ソ間で締結)は、アメリカが、今年2月に廃棄すると通告し、その結果、半年後の8月2日に失効しました。

最新技術を駆使した、新たな核の競争が始まろうとしています。今度は、米ロだけでなく中国をも巻き込んで。大変なお金が必要になるでしょう。だから、アメリカは、日本やヨーロッパをも巻き込もうとするでしょう。

今、トランプ氏らによる、宇宙戦争やら、中距離核開発やら、新たな大軍拡競争が始まろうとしています。軍需産業を喜ばせるだけの、こうした愚かな競争は、人間の心をすさんだものにし、ますます暴力的風潮がまし、人間のモラルを破壊します。そうならないためには、私たちは、声をあげ、人間を信じる行動をとるしかありません。その意味でも、核兵器禁止条約を中心とした世界の反核運動は、ますます重要になっているのではないでしょうか。

2019年8月19日月曜日

特殊詐欺と社会主義

オレオレ詐欺被害がいつまでもなくならない。核家族の時代、老人は、頼るのはお金しかないから、必死でお金をため守る。政府は、世代間の平等といいながら、若者の福祉は増やさないで、高齢者の福祉予算を削るばかりです。年よりはますます貯金に頼らざるをえません。その結果、高齢者の所にお金が偏在します、これがオレオレ詐欺の社会的温床となっているのではないでしょうか。

厚労省によると、高齢者が所有する個人資産は、1800兆円で、これは、個人資産全体の60%になるといいます。一方、認知症患者は、2015年には525万人だったのが、2025年には、730万人になるといいます。
一方、第一生命によると、2030年までに、全資産の10%が、これら認知症の年よりが所有することになるといいます。これでは、悲惨なオレオレ詐欺はなくなりそうにありません。

思い付きですが、高齢者のお金1800兆円を国が全部預かり、代わりに国は年寄りの生活、医療、福祉等を全部責任をもって面倒見るようにするというのはどうでしょう。多分、それは、経済的には十分可能でしょう。技術的問題は色々ありそうですが、一考の価値はないでしょうか。人生の前半は資本主義、退職後の後半は社会主義という提案です。

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2019年8月18日日曜日

河村市長のいう「日本国民の心」

あいちトリエンナーレ2019での、騒動は、表現の自由の侵害が問題とされていますが、もう一つの問題があります。それは、河村名古屋市長の、「表現の不自由という領域ではなく、日本国民の心を踏みにじる行為であり許されない」という発言にあります。

つまり、ある作品が、「日本国民」の心を踏みにじる、というのです。河村氏の心が、いつの間にか「日本国民の心」になっています。河村氏はなるほど、多くの支持者によって選ばれた市長ですから、そうした公人としての意識は、我々より高いでしょう。しかし、だからといって、自分が賛成できない作品を、これは、「国民の心」に沿わないなどとして、排斥する行為は、それが昂じれば、日本中すべて「国民の心」に沿った作品だけになってしまいます。それがいいことなのでしょうか。

昔、為政者の意向に反対するものはすべて、「非国民」とされました。その結果、国民は、非国民の烙印を恐れ、ひたすら「国民」の側に立つため、沈黙と欺瞞を強いられました。

政治の側からの、芸術への介入は、戦前を思い出します。そして、芸術ばかりでなく、他の分野でも、例えば学問の世界でも、起きております。徴用工問題や、慰安婦問題を研究する学者や研究者が、「国益に反する研究をする反日学者」として、排斥されようとしています。それは、ネットを通じて、「反日学者に公費(研究費)を使わせるな」という圧力がかかっているといいます。それは、国民の知る権利を奪う行為です。

権利より義務が、自由より責任が、個人より国家が,、個性や多様性より、協力や調和が強調される雰囲気の中で、国家という巨大な歯車が回りはじめ、芸術や学問という、心の営みの自由世界が、圧殺されるのでは、という危機感を感じます。


2019年8月17日土曜日

加害国日本

8月は、広島、長崎の原爆記念や終戦記念日もあり、テレビ番組も、戦争の過去を振り返るものが多い。それらは、どれも、次世代に戦争の悲劇と教訓を伝え、二度と過ちを繰り返すまいとする良心のもとに製作されているのでしょう。毎年行われているこうした国民的行事が、平和憲法を守る大きな力の源泉の一つでもあると思います。しかし、ここには、一つ大きな問題もあります。

それは、いかに戦争中苦労したかは、語られますが、いかに他民族を苦しめてきたかは、ほとんど語られていない、という点です。私が、このことに気づいたのは、今年、珍しく、そうした加害者の視点に立ったドラマを、新鮮な気持ちで見たからです。NHKによる、「マンゴーの木の下で」という番組は、日本占領下のフィリッピンを舞台にした、戦争、敗戦、引き上げ、戦後の一人の女性(主演岸恵子)の物語ですが、その中では日本兵が、フィリッピンの農民から農作物を略奪する場面や、敗戦で現地の人から、石もて追われ、日本に帰る様子が、描かれてました。かなり控えめではあるものの、こうした「加害者」としての日本が描かれたのは、とても画期的だと思いました。

自分たちの父や祖父が、海外で、加害者であったということは、なかなか話題にはしたくないという心理があるのかもしれませんが、それでも、これを語らなかったなら本当の歴史の継承は不可能でしょう。私は、慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、日本国民側にもっと加害者としての歴史の継承があれば、もっと相互理解は進むのかなと思います。例えば終戦記念日一つとっても、日本にとっては悲しみと慰霊の日ですが、朝鮮の人にとっては、やっと植民地支配が終わり、マンセイ(バンザイ)を叫んだ喜びと解放の日でした。だから「光復節」という祝日なのです。180度違うこうした国民的感情をマスコミは全然伝えませんし、多くの国民も多分、知らない状態なのではないでしょうか。このギャップを埋める必要があります。




2019年8月16日金曜日

高校野球と人権

全国高校野球も、ベスト16まで絞られ、いよいよ盛り上がっている。昨年の秋田の金足高校に続き、、八戸学院光星、育英、鶴岡東と、東北から3高も残っているのも、優勝経験のない東北が上り坂である表れだろう。

ところで、今回の高校野球は、投手の肩を守るための球数制限が話題になった。それというのも、大船度高校の監督が、勝つことよりも選手の肩の健康管理を優先して、県大会の大事な決勝戦に、エースの佐々木選手を登板させず、結果、勝てたかもしれない試合をみすみす逃したからだ。この監督の判断は、英断とたたえる人と、批判する人の間で激しい論争を引き起こした。

ここ数年、柔道、女子体操、アメフト、相撲、レスリング等、次々不祥事が起きた。それは、偶然ではないだろう。人権意識が、スポーツ界にも、ようやく浸透し始め、その結果として、日本のスポーツの残存する、根性主義や、厳しい上下の秩序に対して、選手たちが反発の声を上げつつある。今回の選手の肩の問題もこの大きな流れの中でとらえることができるのではないか。それは次の理由による。

私は、高校野球が好きだが、丸刈りは好きでない、というより、全員例外なく丸刈りなのが気持ち悪い。ところが嬉しいことに、旭川大高校や秋田中央高校は、昨今の部活での暴力指導やパワハラ問題を念頭に、丸刈りをやめるという。これは、画期的な大事件である。今まで、全国何百何千の高校の野球部が、全部丸刈りという異常に人々はようやくNOの声を上げ始めた。彼らはファーストペンギンである。そうした背景を考えると、選手の肩をまもるという当然の人権問題が、ようやく問題にされ始めたととらえるのは、そう不自然ではないだろう。本当の歴史というのは、国会でつくられるのではない、こうして日々の風景が変わることで、前に進むのである。

2019年8月14日水曜日

参院選、投票率が低い

今回の参院選は、50%を切る低投票率だったという。選挙も盛り上がらなかった。政府与党にも、野党にも責任があるのだろう。

投票しない理由は色々あるのだろうが、明らかなことは、野党の乱立状態では、政策の違いが混乱して、わからないし、どれか一つが突出しているわけでないから、どうせ、投票しても大勢は変わらないだろう、ということでないか。

こうした批判に野党も、何もしていないわけではない。それどころか、実は、市民運動と連動した野党共闘は、2015年の憲法違反の安全保障法成立以来、着実に進んでいる。2016年の参院選、2017年の衆院選と、一人区での選挙協力で、少しずつ成果を上げてきた。今回も激戦の末、10人の野党統一候補が、一人区で与党候補に勝った。じつは、今回政府与党が、憲法改正に必要な3分の2の勢力を維持できなかった最大の理由は、ここにある。今まで、憲法審査会を開かせなかったのも、野党の院内協力の大きな成果であるという。

しかし、選挙では、野党はバラバラ状態に見えてしまい、協力は見えにくい。それは、政策協定はあるが、政権構想がないからだ。野党、特に、立憲民主党、国民民主党、共産党は、違いを乗り越えて、政権構想をつくり、本気で、政権をとる覚悟を示してほしい。投票率を上げるためには、それが必要だ。投票率が10%上がれば、選挙後の政党間の勢力図は一変するだろう、20%上がれば、政権の屋台骨が揺らぐだろう。国民はそれを待っている。

2019年8月13日火曜日

トリチウム汚染水

原発福島の放射能汚染水がたまり続けている。汚染水は、アルプスという放射能除去装置で、清浄化されるが、トリチウムという放射性元素だけは、取り除けない。だから、トリチウム汚染水は、タンクに入れて、貯蔵するしかない。このたび、東京電力は、2022年夏あたりにタンクが満杯になる、と大々的に報告した。タンクは増設するが、それでも、追い付かず、こうなる、ということらしい。

今のままだと、次第に東電の目論見通り、汚染水の海上放出となるのではないかと、心配だ。相馬や小名浜などの漁民は、事故のため、漁業ができなかったのが、やっと少しづつできるようになっている。それでもまだ風評被害は残っている。今、汚染水を放出されたら、今までの苦労は水の泡になってしまう。絶対、汚染水の放出はやめてほしいと考えている。

海上放出しか方法はないのだろうか。よくわからないが、そうでもないらしい。技術者や専門家の意見によると、技術的にも経済的にも長期保存は可能だという。トリチウムは半減期が12.3年と短いので、123年保管すれば、放射能は1000分の1に減るという。これくらいの保管ができなくて、廃炉作業からでてくるだろう高濃度放射能の保管などできないだろう。東電にすれば、海上放出が一番安上がりなので、何が何でも、それにしたいのではないか。
安倍政権は何でも、きちんと議論せず、陰でこっそりきめてしまう。今度もそうならないよう、注目する必要がある。

2019年8月12日月曜日

万引き家族考

先日、テレビでやってた映画の録画で、「万引き家族」を見た。評判通り面白かった。私は、是枝監督のことはよく知らないから、見当はずれなことかもしれないが、次のような問題を考えさせられた。それは、「家族という血のつながりは何なのか」という問題だ。

世の中には、血がつながらないでも、深い信頼や理解に基づいた関係はいくらでもある。そもそも、夫婦は、血がつながっていない。では、血のつながりは、それ以外のつながりでは、到達できない特別な何かがあるのか?是枝氏は、次のように言っているように思える。血のつながりという何か特別なものは幻想である。それは、遺伝子に対するフェティシズム(物心崇拝)にすぎない。

なるほど、親子のつながり、母と子、父と子、は、理性を越えた本能としか言えないような、強力な支配力を持つ。是枝氏ももちろんそれを否定しないだろう。しかし、私たちは家族と言えども、血のつながりに依存するのではなく、人間としてのつながりを追求しなくてはならない。そうしないと、急速に変貌しつつある社会の中で、家族という制度は生き残ることが困難になるにちがいない。だから、今必要なのは、家族の賛歌ではない、血のつながりからの精神的自立である、そんなことを思った。


2019年8月11日日曜日

自主憲法と対米従属

安部氏ら民族派は、日本を取り戻せとか、自主憲法制定などというが、対米従属については、けっして何も言わない。美しい日本を賛美し、天皇のいる誇り高い民族を語る人たちが、植民地同然の地位協定に我慢できるのはなぜだろう。高額な「思いやり予算」をふんだくられているのに、トランプ氏に、日本は安保にただ乗りしているなどと、勝手放題言われて怒らないのはなぜだろう。これは、よく考えると、説明を要する不思議なことだ。不勉強な私は、その説明を誰かから聞いたことがないので、勝手に思いついたのが次の仮説である。

日本人が、中国という文化的先進国の影響を相対化して、自分の民族に目覚めたのは、江戸時代の賀茂真淵ら国学であるという。かれらは、それまで武士の道徳の基礎であった、朱子学など儒教系の中国由来の学問を、細かいことをあれこれいう「こざかしい」学問であり、もっと伸びやかな日本古来の万葉時代を賞賛したという。こうした復古主義は、その後の明治維新政府の、王政復古イデオロギーの基礎となった。

それ以後、日本は、西洋に追い付くため、西洋文明べったりとなった。そうした軽薄な西洋べったりを苦々しく思っていたのが漱石である。かれは、「日本には富士山以外に自慢するものが何もない」といい、「日本はこのままでは滅びる」といった。

漱石以後、まじめに、西洋文明を批判的に総括して、日本のアイデンティテイを確立しようとした日本人を私は知らない。だから、今も日本は、西欧文明から「乳離れ」していない。だから、アジアの人々にはえばり散らすが、欧米に対しては、本質的に卑屈である。その証拠が、安部氏ら民族派が、対米従属状態に平気であることだ。そう考えると、すべてつじつまが合う、ように見えるのだが、どうだろう。

2019年8月10日土曜日

安保と核廃絶運動

核兵器禁止条約は、署名国が4月現在で、70か国、批准国が24か国であるという。批准国が50になると、条約が発効するというが、70という署名国の数を見る限り、50に届くのは時間の問題だろう。現在進展が遅いのは、おそらくアメリカが、陰で必死に脅しやなんかで弱小な国々を抑えているのだろう。

安倍総理は、色々口実をいって、署名をしようとしない。日本は、アメリカ追従だし、核の傘が大事だから、はじめから、署名するつもりなどないのだろう。しかし、原爆投下の記念式典で、広島市長も長崎市長も、核兵器禁止条約の署名を強く求めた。それは、おそらく国民の声だろう。

今後、条約が発効すれば、一層、政権に対する、条約に署名せよとの声も大きくなるだろう。しかし、その時、政権だけでなく、日本国民も又、核廃絶の本気度を問われることになるだろう。なぜなら、日本国民の約8割は、安保条約を支持しているが、安保条約とは、即わち、核の傘だからである。なるほど、日本は非核三原則を唱え、核をもっていないし、持ち込まないといっている。しかし、安保と非核三原則は、根本的に両立できない宿命にあるのであり、これが両立できているのは、核密約など秘密条約と政府の虚偽答弁のおかげである。そうした矛盾を抱えたままのあいまいな態度が、問われるときが、まもなくくるだろう。
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2019年8月9日金曜日

表現の自由とは

政府は、様々な事業に補助金をだしたり、経済的補助をする。国民の税金だから、その使途には、厳重であるのは当然だ。例えば、日本相撲協会は、公益法人として、様々な経済的特権を得る代わりに、暴力事件などの不祥事を起こすと、指導を受けたり、公益法人から外すぞという警告を受ける。つまり、公金というカネをだすが、代わりに口もだすというわけだ。

愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、慰安婦を表現した「平和の少女像」が展示されていることについて、菅義偉官房長官は「補助金交付の決定にあたっては、・・・適切に対応したい」と述べたが、これは、今後補助金を交付しないぞという脅しである。つまり、相撲協会と同様に、国が税金の使い道を適正にする行為であるというわけだ。一見もっともに見える。

しかし、菅官房長官は、相撲と芸術とでは、決定的に違うことを、故意に無視している。それは、憲法21条だ。



集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

わざわざ、憲法に書いてあるということは、他の法律に優先して守らないといけないということを意味する。公金で補助する代わりにその使途に政府が責任を持つ、つまり、憲法21条が守れらるように政府が責任を持つ。仮に、右翼が攻撃してきたら、それを排除して、展覧会が無事行われるようにする。それが、公金使用に対する政府の責任であろう。作品そのものの中身によって、態度を変えるなどは、あってはならない。カネは出すが、口はださない、これが表現の自由だ。


2019年8月8日木曜日

酷暑と地球温暖化

本来、クーラーは好きでない。しかし、2~3年前ごろから、夜寝る時、クーラーをつけるようになった。本気で熱中症が心配になったからだ。最近では、毎日相当数の人が救急車で運ばれ、何人かは死んでいるという。私も、もしクーラーがなければ、この夏を死なないでのりきることができるのか、自信がない。

このことの意味は重い。少なくとも、地球の一部、一時期において、地球はもはや人間が住める場所ではなくなったということである。

いずれ、もっと切羽詰まった状況がやってくる。排出二酸化炭素量は厳しく制限せざるを得なくなる。すると、二酸化炭素の排出権をめぐり、国同士の奪いあいが始まる。それは、限られた水の奪いあいと同じ、命を懸けたものになる。そうなった時、人間は理性的行動をとれるとは思えない。

スウェーデンの16歳の少女が,大人の無関心な態度に絶望と不信の念を抱いて、「学校どころではない」と、学校を飛び出して、「今すぐ行動をせよ」と叫び始めた。その叫びは、私に、あなたに向けられている。

2019年8月7日水曜日

原爆投下と韓国

6日から開催されている原水爆禁止世界大会には、今年は、韓国の市民団体も参加しているという。

韓国の人たちにとって、ヒロシマは、日本とは違う意味合いを持つという。当時、朝鮮は日本の植民地で、それまでさんざん迫害され、徴用工にされたり、慰安婦にされたりしてきたから、原爆の投下は、植民地の苦しみからの解放という喜びにつながっただろう。中には、「ざまーみろ」と思った人もたくさんいたのではないか。そうした歴史背景を思うとき、今回、彼らが広島に来て、日本と一緒に核廃絶を世界に訴えることは、相当高い志がないとできない。彼ら韓国の市民運動家は、日本に対する、恨みつらみも、乗り越え、過去を反省しない安倍政権に対する怒りも乗り越えて、世界から、朝鮮半島から、核をなくすために、やってきた。

私たちが、反核を世界に訴える時、私たちは被害者ではあるが、同時に周辺アジアの国々にたいして、加害者であった過去をわすれてはならない。それをなかったことにしようとする一部の勢力を許してはいけない。
(当時の内務省資料によると、原爆投下時、朝鮮人は10万人が被爆、うち5万人が即死であるという。)(8月10日追加しました)

2019年8月6日火曜日

銃乱射事件と銃規制

アメリカで、銃の乱射事件が後を絶たない。悲惨な犠牲者を思うと、不謹慎かもしれないが、乱射の場面で、たまたま銃を携行する銃の名手が居合わせて、犯人をやっつけたりすることがないのだろうか。もし、そんなことが起きれば、ダイハードのブルースウィリスだとばかりに、賞賛されヒーローになるだろう。

もともと、銃規制反対の理由の一つは、自分の身の護身だし、こうした場面に出くわしたいものだと、ヒーローになるチャンスをうかがっている、自称ブルースウィリスは沢山いるのではないか。しかし、そんなことは、起きてほしくない。何故なら、そのようなことが起きたら、ますます銃規制反対を正当化してしまうからだ。

2019年8月5日月曜日

金正恩独裁体制

北朝鮮の金正恩体制の崩壊を望んでいる人は、多いのではないか。なぜなら、それは、独裁体制の終焉を意味するし、もっとましな政権ができて、国民も幸せになるし、日本など周辺諸国とも、もっと平和な関係ができるだろうと考えるからだ。しかし、そう単純ではないだろう。

仮に、金体制が崩壊したとして、新たな国家体制を構想する場合、次の二者択一をせまられるだろう。
1.中国との軍事条約を維持して、韓国とは合流しない親中国の独自路線を続ける。
2.中国との軍事条約を廃棄して、アメリカと軍事条約を結んでいる韓国と一緒になる。

国論がどちらかにまとまればいいが、そうでない場合、深刻な対立になりうる。すると、中国もアメリカも、陰で色々、「援助」をして、自国に有利な展開を画策するだろう。すると、内戦勃発の素地ができる。北朝鮮の人たちは、徴兵や戦争の経験のあるつわものぞろいである。武器が入手できれば、いつでも武装闘争をする能力がある。それは、最悪のシナリオだ。

独裁体制は、個人の資質によるものではないだろう。状況が独裁をつくるのだから、状況が変わらなければ、個人の首を挿げ替えるだけでは、問題の解決にはならない。

2019年8月4日日曜日

NHKのネット配信

先の国会で、5月、NHKのインターネット同時配信を可能にする、改正放送法が成立したという。スマホやPCで、NHKが見れるようになる。もう一部始まっているようだ。

若者のテレビ離れが進み、テレビ人口も高齢化するなか、NHKが生き残るために、当然の流れだろう。勿論民法も参入を狙っているだろう。一方、参入される側のネット事業者も、逆に放送参入を狙うだろう。

こうした傾向は、通信と放送の融合といわれる。要するに、ネットというメディアとテレビというメディアの境界がなくなろうとしている。むかし、ライブドアの堀江貴文氏が試みたが今思うに、ちょっと早すぎたのだろう。

しかし、一つ大きい問題がある。放送には、放送法があり、その第4条で、「政治的公平性」等の規制があるが、ネットには、そうした規制はない。だからネットは比較的自由である。それはいい点もあるが、偽情報が拡散しやすいなどの危険もある。

安部氏の側から見ると、テレビは、モリカケ問題など、さんざんお茶の間の話題となり、苦い思いを持っている。一方、ネットは、感情的意見が拡散しやすく、安部氏のとって、強い味方的集団もたくさんいる。トランプが、CNN等テレビを毛嫌いして、ツイッター等SNSを愛用するのと同じ状況が、安部氏の日本でも生まれつつある。

だから、安部氏は、通信と放送の融合の時をチャンスとばかりに、放送法4条の廃止を狙っているという。「政治的公平性」は、報道の自由を抑圧する手段でもあるが、一方、ネット的偽情報による右傾化の歯止めでもある。報道はどうあるべきか、が問われている。
告知 ホームページ⇒生物と情報 を開設しました。理系的話題ではなく、人間とは何かという根源的問題を考えるブログも書くつもりです。

2019年8月3日土曜日

中国スタンダード

米中貿易戦争が、世界の耳目を集めている。この戦争、貿易にとどまらないで、底流にはこれからの世界の覇者の地位を争う、覇権争いがあるという人も多い。

どっちが勝つかは、別として、確かなことがある。それは、中国が、アメリカと互角に戦うだけの国力を持っていることが、世界にわかったということだ。これだけでも、中国にとっては、大きい収穫だろう。カリカリしているアメリカに対して、終始冷静で、国際協調の姿勢を見せているのはむしろ中国だ。ここには、中国の自信と余裕が感じられる。

中国は、民主主義でなく、強権的だから、世界標準にはなれない、世界の指導国にはなれない、と思う人が多い。しかし、民主主義よりパンの方が大切な国は、沢山ある。むしろその方が多い。民主主義と騒ぐのは、欧米など、世界の「先進国という少数派」である。

アメリカを中心とする欧米時代から、中国を中心とするアジア、アフリカ、ラテンアメリカ時代がくるのだろうか。

告知 ホームページ 生物と情報 を開設しました。ここでも、ブログを書く予定です。

2019年8月2日金曜日

Facebook の仮想通貨

貨幣の発行権は、強大な国家権力の証だ。なにしろ、人が汗水流して労働する価値を、紙切れ1枚で、「印刷」できるのである。だから、国家ごとに、別々の貨幣をもつのも当たり前だ。EUは、腹をすえて経済統合しようとしたから、ユーロという人工貨幣を作った。単一市場は、単一貨幣であることが必須だろう。

世界は、グローバル化により、単一市場になりつつある。しかし、単一貨幣がない。仕方がないから、アメリカドルで間に合わせている。しかし、その結果、世界は、ドルに振り回され、アメリカは、特権的ステータスを得て、経済的に有利な立場となるから、色々得をする。ドルが世界貨幣であることは、歴史的成り行きの産物で、合理的根拠はない。だから、みんな内心不満を持っている。

そんな中、フェイスブックの会長が、仮想通貨「リブラ」を、2020年前半に運用開始する、とぶち上げた。今までも、仮想通貨はたくさんあるが、27億人の利用者を持つFBが、仮想通貨を始めるとなると、そのインパクトは大きい。世界中が慌てた。アメリカのFRB(連邦準備理事会=日銀みたいなもの)の議長は、さっそく「深刻な懸念」を表明した。それは、個人情報の保護、マネーロンダリング、消費者保護、金融の安定などが危うくなるというもので、それはもっともな懸念だろう。

しかし、世界貨幣としてのアメリカドルの特権的地位を廃止し、デジタルマネーを世界貨幣とすることは、技術的にも可能だろうし、公平の原則から、大変魅力的である。(勿論、一企業の独占であってはならないが。)それだけに、アメリカの抵抗も大きいだろうが。




2019年8月1日木曜日

ASEAN に見習え

東南アジアASEAN地域は、シンガポール、ベトナム、インドネシア等、順調に経済発展しつつある。その基礎には、この地域の平和の維持がある。利害関係が入り組み、大国の介入のおそれがつねにあり、歴史的に争いなど負の遺産もある。こうした障害を乗り越えてお互いの、信頼に基づいた友好協力の関係を、長い間の努力で、築いてきた。

今でも、主に、中国による紛争のタネが絶えない。例えば、ベトナムが、自国の排他的経済水域(EEZ)で、資源調査をしていたところ、中国の武装船がきて、監視や妨害をしたという。中国は、南シナ海全域を、自国の領域だとする「9段線」の主張をしているが、この考えは、2016年7月に、国連の仲裁裁判所で、違法であるとされている。
フィリッピンでも、自国のEEZ内で操業していた漁船が、中国の船舶に衝突され沈没したという、しかも、乗組員は救助されず放置されたという。

こうした中でも、彼らは、粘り強く、対話路線を捨てない。それしか、解決法がないことを知っている。そうした彼等の言葉は、説得性を持ち、味わい深いものがある。

6月のASEAN会議での、ベトナム国防相の言葉。「相手を屈服させたり、封じ込めたりする目的を持つ競争は、緊張と対立、更には紛争と戦争まで行き着く」
フィリッピン国防相の言葉「対立ではなく、対話を選択し、・・・協力と信頼醸成を重視してきた」
シンガポールのマハティール首相 米中の2大陣営に分断される危うい世界を避け、「大国間の対立に翻弄されずに地域の秩序をつくる」べきである。