2020年1月30日木曜日

台湾ビーフンが消えた

すみません、しばらく不定期になりそう、色々忙しくて。ここ半ねん、スーパーからビーフンが消えました。僕の母親は、台湾本場仕込みのビーフンが上手で、僕も自分で、ビーフンを作ります。にらとエビの香りのあの味を時たま食いたくなる。それが手に入らない、なぜだ?以下は、僕の推理です。

習近平中国と安倍日本が、急接近しています。その結果、中国の圧力で、台湾は排斥されつつあるのではないか、そのせいで、台湾からのビーフンが来なくなったのでは。
止むをえず、タイビーフンを買いましたが、これも結構うまかった。

2020年1月22日水曜日

敗戦とは何か

日本は明治維新という近代化革命を行い、その結果富国強兵、殖産興業のスローガンのもと、西欧に追いつく努力をしました。しかし、西欧が200年~300年の年月を要した近代化をわずか半世紀で行うことには、どうしても無理があります。その無理が、天皇―軍結合体及び国粋主義の台頭、そして侵略戦争でした。対外戦争及び敗戦は、初めから運命づけられていた日本の悲劇といえます。敗戦は、不完全だった、第一次の近代化革命に続く、第二次近代化革命を意味します。以上が私の大まかな構想ですが、取りあえず、1月9日より書き続けてきたことを終わりにしようと思います。
どうしても、ブログの形式では、これ以上書くことは困難です。近日中に、きちんとした論文の形式で書き、ホームページにかくつもりです。

2020年1月20日月曜日

敗戦という不連続点

私は、正しい時代区分ができないと、敗戦という不連続の意味が解明できないとして、敗戦前を欽定憲法時代、敗戦後を民主憲法時代としました。ようやく敗戦という不連続を論ずる準備ができました。

まず、もう一つの不連続、近代化革命(明治維新)について述べます。まず、この革命が西欧の市民革命と根本的に違う点があります。西欧の市民革命は内発的であったから、例え不連続であっても、その不連続は、過去によって説明できる不連続です。しかし、日本の近代化革命の場合、同じ不連続でも、内発的であると同時に外発的でもありますから、過去によってだけでは十分には説明できません。では何によって説明できるでしょう。それは世界情勢によってです。当時の世界は帝国主義の時代といえますが、列強の市場開放の要求という外圧が、日本に近代化革命の強力な後押しをした結果、明治維新という不連続が生まれました。

日本は、その緊迫した情勢に見事に対応して、近代化を成し遂げ、それはアジアの模範といわれました。しかし、欽定憲法時代という近代化は、外圧の助けによるものですから、所詮沢山の弱点をもっており、徐々に弱点が頭をもたげてきました。欽定憲法時代とは、こうして明治憲法という立憲体制からスタートし、一定の発展をしたものの、やがて挫折と崩壊に至る歴史と総括できると思います。(続く)

2020年1月18日土曜日

国民の戦争責任

護憲派の論理では、侵略戦争の加害者は、一部の支配者達で、大多数の国民は、天皇崇拝を刷り込まれ、報道の自由を奪われたなかで、知る自由も、言論の自由もなく、抑圧されだまされた側であり、加害者ではない、その手は汚れていない、となっております。そうでしょうか。

私は、こうした白黒二分論は信じられません。同じ国民であり、同じ時代の空気を吸っていた、多くの人は白でも黒でもなく、多かれ少なかれグレーであったと考えるべきではないでしょうか。そうしてこそ、「私たち日本人は、いつどこで誤ったのだろう」ということをみんなで考えることができるのだと思います。そんな中で、祖父が「実は俺も南京で女性をレイプしたし、子供を殺した」とか、「慰安婦は軍があっせんしていた、靖国派の言っていることは嘘だ、俺がその証人だ」などの、涙ながらの懺悔や告白や告発も生まれるというものです。

今の、「国民は悪くない論」の中では、こうした告白は到底言い出せないでしょう。南京で人を殺した兵士には、深い後悔や罪悪感と共に、「あの場面で、上官の命令に従う以外、どういう選択肢があったんだ」等多くの弁明もあるでしょう。かれらは、靖国派と護憲派が論争するなかで、何もいいだすことができないで、苦しんでいるのではないでしょうか。この人たちこそ誰よりも発言すべき人達です。
しかし、戦争の責任を明確にすることを急ぐあまり、国民は一方的被害者であるかのような、現在の議論枠組みのなかでは、南京で虐殺に加担した下級兵士は沈黙を続けざるをえないでしょう。
本音の話合いを許容する雰囲気が必要です。そして率直な議論をすることで、初めて歴史の教訓がうまれるのではないでしょうか。あるいは、主体的自発的な戦争責任論が、自然にうまれるのではないでしょうか。


2020年1月15日水曜日

A級戦犯をどう見るか

A級戦犯と呼ばれる人をどう考えるべきでしょうか。勿論、東京裁判で死刑を宣告された戦争犯罪は、日本の軍国主義の犠牲になったアジアの2千万人の人を思うとき、ゆるがせにできない重い決定です。私はそれを問題にしようとしているのではありません。しかし、私は、東京裁判のように、結果から過去を批判するだけでなく、同じ日本人として、せめて内在的主体的に批判してあげたい、そこまでは譲歩して歩み寄る、これを拒否するなら、初めから靖国派との対話の余地は存在しないでしょう。私は、靖国派とも、お互い相手を否定するだけでなく、かみ合った議論をしたいのです。そのかみ合う場所の一つがここではないか、そう思っております。では、内在的主体的な批判とは、どのような批判でしょうか。
私たちは、歴史的人物も含めて、誰しも、歴史的制約を持つのであり、その制約のもとで、一生懸命生きております。そして、その人の判断力もまた、歴史的制約(歴史的限界)の内にある以上、その限界を超えた場合には、対外的には許されなくても、同胞としては、悲劇として「理解」してあげる場面があるかもしれません。(仮にA級戦犯が、自分の祖父であったなら、そうした気持ちになるでしょう)それは身内として、ひいき目でものを見るということではありません。歴史的限界の外かどうか、は、歴史学を根拠とした客観的判断で、主観は関係ないのです。だから、アジアの2千万の犠牲者を前にしても、恥ずかしくない判断のはずです。(続く)

2020年1月13日月曜日

護憲派の不十分性


護憲派と改憲派の論争で、護憲派は、東京裁判と類似の基盤に立ち、日本軍国主義を批判
しますが、これは、いわば、戦争の勝者という「よそ者」の立場からの批判であり、それ
だけでは、内在的主体的批判にはなりえません。それゆえに、安倍氏ら靖国派は激しく反
発します。
私は、「私たち日本人は、いつどこで、道を誤ったのか」という問いかけ、をすることか
ら始めようと思います。しかし、ここにも、ジレンマがあります。「私たち日本人」とい
時、侵略戦争をした支配者と、被支配の側の国民と一緒にすることで、支配の側を免罪
るという批判を受けます。しかし、私の問いかけは、当為や規範としての「戦争責任
論」ではなく、歴史科学としての、「戦争原因論」です。
私は、東京裁判のように、勝者の側から戦争を評価するのではなく、原因論から戦争を客
観的に理解したいのです。それは、明治から敗戦までの欽定憲法時代とは何だったのかを
知る必要があります。そのためにこそ、今まで、明治維新を近代化革命というスタート地
点としたのです。(続く)


2020年1月10日金曜日

元号に代わる時代区分を


まず、今までの、安倍氏ら靖国派と呼ばれる歴史修正派と、護憲派との論争以前に、私は、歴史の問題として、次の疑問を提起したいと思います。


1 明治、大正、昭和、平成・・・という元号を、何とはなしに時代区分に使用していますが、これは、歴史的な「時代」ではありません。なのに、明治時代、大正時代・・という用語は普通に使われています。私は、西暦という世界史との整合性のない、元号は歴史学のためには、大変面倒だし、元号のままでは、歴史を正確に語ることができない、と思っております。ならば、きちんとした時代区分をすべきです。



2.時代区分がないために、戦前と戦後を分ける1945年の敗戦=不連続が何を意味するのか、それは、果たして不連続なのかどうかさえ、明確でありません。

こうしたあいまいさが、歴史修正派との論争を、共通基盤のない、かみ合わない不毛なものにしております。



歴史知識の乏しい私は、近代の時代区分に関する学者の提案は、探せばあるのでしょうが、あいにく知りません。従って、まずその時代区分を提案したいと思います。



1868年近代化革命、 以後明治、大正、敗戦までを、欽定憲法時代とします。

1945年敗戦 これ以降の昭和、平成、令和の現在までを、民主憲法時代とします。



この時代区分が可能なのは、1868年明治維新を近代国家の開始点であるとできたからです。この時代区分が本質的であり、ここから重要な結論が生まれることを、次に話したいと思います。(続く)

2020年1月9日木曜日

近代日本の起点

僕は、前に日本人のアイデンティティ (12月2日)という文をかいて、現在日本のスタート地点について考えました。ようやく、その答えにたどり着いたと思い、それを述べたいと思います。

それは、やはり明治維新の1868年だと思います。明治維新は、西欧のブルジョア革命なのかどうか、議論があるようで、私はそれには関与せず、次の理由により、1868年は、時代の不連続が存在するのであり、その不連続により、この年は、近代化革命が起きたと思います。

幕末の動乱の中で、対外的交渉の必要から、公的存在としての主権国家の必要に迫られ、 今までの幕藩体制が私的存在(領主)の集合体にすぎない、もっと公的権力が必要である、という意識の変革が、幕末の動乱の中で徐々に形成されてきたからではないでしょうか。この意識の変革こそ「革命」の核心ではないでしょうか。そして、公権力の象徴として天皇が利用されました。それによって、明治政府は、国家という容器を作ることに成功しました。公権力の実在の証拠は、例えば次の事実です。特に、2は支配権の移行を意味しますが、これが紛争をほとんど伴うことなく行われたことは、すでに意識の変革があったからでしょう。


1.身分制の廃止

2.廃藩置県(各藩の領地の没収)

3.地租改正と徴兵令(租税徴収権と武力の独占)


その後、反動と抑圧政治が続きますが、反動といい抑圧といい、それは、近代国家ができ、政治の世界が始まったからおきたことであり、近代国家そのものを否定する理由にはなりません。

以上の理由で、1868年は、確かに、封建時代から近代国家へ飛躍して、不連続点、つまり近代革命の年といえ、ここが現代日本のスタート地点と思います。大切なことは、この規定が、単なる規定にとどまらないで、今まで未解明だった重大な多くの問題に光を当ててくれるのです。(続く)






2020年1月6日月曜日

カジノはいらない

カジノを推進する人たちは、20年ごしで、執拗にカジノ導入を図ってきました。これほど、熱心なのは、誰かからなんかの見返りがあるからだろうと、勘ぐるのが普通でしょう。そして、カジノの名前を前面に出さないために、色々名前を変え、最後は、IRつまり複合型観光施設という、立派な名前に落ち着いたようです。

2001.12月 自民党議員36人「公営カジノを考える会」
2002.6月 上記の会を「カジノと国際観光を考える会」と改称
2004.6月国会議員連盟による「ゲーミング法基本構想案」発表
2009.2月自民政調に「カジノエンタテインメント検討小委員会」設立
2010.4月超党派で「国際観光産業振興議員連盟」発足
2011.8月 同議連が「特定複合観光施設の整備推進法案」(通称IR法案)
以下省略

明日7日、安倍政権は、早速、カジノ管理委員会という、カジノを統制する行政組織を設置するそうです。20年越しの執念ですから、秋元議員その他逮捕者がでて、カジノ疑惑真っ最中でも、もうどうにもとまらない、のでしょうか。

2020年1月4日土曜日

春よ来い

もうすぐ七草がゆ、ついで寒の入り、大寒、節分、立春と、今の時期は、地味ではありますが、春に向かう最も季節感豊かな日々ではないでしょうか。

七草のうち、ナズナは、ぺんぺん草ともいい、葉っぱの状態で越冬します。葉は、冬の寒さに耐えるため、地面にぺったりと張り付き、放射状の花型になっているのをよく見かけます。この越冬の形にはロゼット(rosetteバラ飾り)という美しい名前がついています。タンポポのロゼットはよく見かけます。ロゼットは、葉を広げ光合成をしながら、栄養を根に蓄え、春の準備をするのです。

春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ホトケノザ、すずな、すずしろ、ですが、ここで、現在のホトケノザ食べられず、ここでは、コオニタビラコのことを昔はホトケノザと言っていたということです。このコオニタビラコは食べられ、ロゼットでよく見かけるものです。

昔の人たちは、冬の野山で、食用にと、こうした越年草のロゼットを探しながら、草たちと一緒に、春の到来を楽しみに待ったのでしょう。

日がどんどん長くなっており、日没時刻は、毎日およそ1分ずつ遅くなっています。今日1月4日の日没は4時41分、1月14日は4時50分、㋀24日は5時です。つまり、このころになると、5時でもまだ明るい!

2020年1月2日木曜日

2020年はどうなる?予測

今年はどんな年になるでしょう、私の、すべてうまくいけばこうなる、のシナリオです。良い年になるよう、願うだけでなく、自分にできることもしたいと思います。

1.米大統領選挙で、トランプ氏が、民主党候補者に破れる。アメリカは、間一髪で、パリ条約離脱を回避する。

2.オリンピックのあと、安倍総理は、あくまでも憲法改正を目指して、解散総選挙をする。しかし、野党共闘が一層すすんだことや、安倍政権へ、国民の嫌悪感が増大して、地滑り的に敗北し、ついに安倍政権は総辞職に追い込まれる。

3.地球温暖化に関して、日本の石炭火力依存の内外からの批判により、ついに、石炭火力削減に方針転換せざるをえなくなる。

4.4月に核不拡散再検討会議に向けて、原水禁世界大会がニューヨークで同時開催されます。こうした盛り上がりに中で、核兵器禁止条約の批准国が、ついに50国を越え、条約発効に至る。

5.F1原発のトリチウム汚染水の海洋投棄は、反対がつよく、結局、あきらめ、新たな貯水槽を建造して、長期保管する方針になる。

6.カジノ汚職への世論の批判で、横浜カジノについても、県民の反対が一層強くなり、林市長は、ついにあきらめざるを得なくなる。

7.沖縄辺野古新基地の建設は、とても現実的でないと、思考停止の日本の頭越しに、アメリカが再考を提案する。(OMG ! 辺野古を普天間と誤記、訂正しました5日)