それは、やはり明治維新の1868年だと思います。明治維新は、西欧のブルジョア革命なのかどうか、議論があるようで、私はそれには関与せず、次の理由により、1868年は、時代の不連続が存在するのであり、その不連続により、この年は、近代化革命が起きたと思います。
幕末の動乱の中で、対外的交渉の必要から、公的存在としての主権国家の必要に迫られ、 今までの幕藩体制が私的存在(領主)の集合体にすぎない、もっと公的権力が必要である、という意識の変革が、幕末の動乱の中で徐々に形成されてきたからではないでしょうか。この意識の変革こそ「革命」の核心ではないでしょうか。そして、公権力の象徴として天皇が利用されました。それによって、明治政府は、国家という容器を作ることに成功しました。公権力の実在の証拠は、例えば次の事実です。特に、2は支配権の移行を意味しますが、これが紛争をほとんど伴うことなく行われたことは、すでに意識の変革があったからでしょう。
1.身分制の廃止
2.廃藩置県(各藩の領地の没収)
3.地租改正と徴兵令(租税徴収権と武力の独占)
その後、反動と抑圧政治が続きますが、反動といい抑圧といい、それは、近代国家ができ、政治の世界が始まったからおきたことであり、近代国家そのものを否定する理由にはなりません。
以上の理由で、1868年は、確かに、封建時代から近代国家へ飛躍して、不連続点、つまり近代革命の年といえ、ここが現代日本のスタート地点と思います。大切なことは、この規定が、単なる規定にとどまらないで、今まで未解明だった重大な多くの問題に光を当ててくれるのです。(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿