2019年11月17日日曜日

生き物を大切に

先週のNHKの「ダーウィンが来た」という番組で、都会で、セミが繁栄するわけをいっていました。それは、桜などの街路樹が関係しているといいます。セミは、木の根っこで、数年幼虫として、樹液を吸いながら成長します。しかし、長い幼虫期間は、その分、モグラという天敵にやられるリスクを増大します。しかし、コンクリートだらけの都会にはモグラはおらず、街路樹の根に住むセミの幼虫は安全だというわけです。

自然を壊し、森を破壊する人間は、セミにとって、敵だったはずです。しかし、その敵が作るコンクリートのジャングルが、皮肉にも、セミを助けます。敵といい、味方といいますが、実は、生物は、みな必死で、自分のことだけを考えて生きているにすぎません。共生などといい、生物が助け合っているかのように、思い描くのは、人間の情緒的な思い込みで、生き物の感知する所ではありません。しかし、その結果、不思議にも、自然界は、生態系という見事に調和のとれた、相互依存の世界を形成します。知性と余裕のある人間だけが、全体像を認識することができます。ということは、人間には、生物として、生態系を守る、という重い倫理的責務があるのではないでしょうか。人間も又、生物として必死で、稲を食う昆虫を退治し、食料として、魚や獣を食べます。しかし、生きるために必要な場合以外に、動植物を殺してはいけない、これは、昔からある、「汝殺すなかれ」と同じく重く大事な基本倫理ではないでしょうか。それは、仏教の教えとか、動物愛好家だけのものではなく、もっと深い、全生物の代表であるホモサピエンスとしての、普遍的道徳基準ではないかと思います。小学校の道徳教育の本の、第1ページの書くべきです。

「むやみに、生き物を殺してはいけない」

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