2019年11月27日水曜日

自由平等友愛の自由

自由は、昔からあったわけでなく、封建時代の終わりに叫ばれ始めたようです。ドイツでは、「都市の空気は自由にする」という諺まで生まれました。自由について、深く調べたわけでもない私ですが、ブログの成り行き上、勝手なことを書かせていただきます。

私は、自由は、私的所有制度と深い関係があるのではないかと、考えております。ある財貨を、「これは私のものだ」という時、近代社会においては、所有権として、神聖なものです。それは、近親者とても、侵害できない、排他的結合の力を所有者にもたらします。

封建時代に、そのような完全な所有は存在しなかったでしょう。武士が、殿様からご褒美にもらった刀を、売って、換金するなどはあり得ないでしょう。日頃、相互に助け合っている百姓が、ある年、自分の農作物がたまたま豊作だからといって、勝手に、余剰の作物を、市場で売ったりしたなら、今までお互い助け合ってきた隣人たちは、怒るでしょう。

逆にいうと、商品交換の市場が浸透するということは、そうした共同体が、崩壊しつつある証拠でもあります。売り買いできるということは、所有権が確立していることを意味します。「これは私のものだ」という排他性は、共同体の紐帯を断ち切る破壊力を持ちます。息子が宝くじで1億円当たって、「これは全部俺のものだ」といったとき、親がそれを容認する、しないに関わらず、親子関係を支えている「家族共同体」は、変質するでしょう。(続く)

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