2019年11月19日火曜日

文系と理系

以前、大和市出身のノーベル化学賞の根岸さんが、大和で、凱旋講演をすることがあり、私も、期待して参加しました。しかし、司会の大和在住の確か同級生の方は、「私共凡人には、ちんぷんかんぷんの難しい御研究のようで」との卑屈な紹介のせいかどうか知りませんが、根岸さんは、私が期待した専門の話は何一つされず、思い出話などに終始し、私はいたく失望した記憶があります。

科学にたいし、「難しいもの」「近づきがたいもの」、という恐れの気持ち、これは、非常に根強く、私たちの生活の中に、のこっています。確かに、ノーベル賞の業績など、そのままでは、理科の教師の私でも、ちんぷんかんぷんです。だから、多くの人が、科学には、畏敬や怖れを抱きます。人々と、科学の間には、いつの間にか、深い溝ができてしまっているのです。理系と文系という言葉は、日本独特と聞きますが、その理由の一つは、こうした溝と関係するのではないでしょうか。

「科捜研の女」という、私も好きなテレビ番組があります。その主人公の榊さんは、優れた科学者ですが、周りの空気をまったく読まない変人です。又、物理担当の人は何人か変わりましたが、どの人も、変人です。つまり、優れた理系は、自分たちとは違うのであり、溝の向こうの人であり、通常社会で交わると、変な行動が出てくるに違いない、そんな風に思っている人がおおいのでしょうか、そして、それは、正しいでしょうか。(続く)

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