2019年11月24日日曜日

自由平等友愛の平等

冷戦時代から、ポスト冷戦に代わる過程で、平等より、自由の価値が増えたように思います。教育の世界でも、平等な教育は、子供の可能性を抑える悪平等だ、個性をもっと重視すべきだ、といった批判が出ました。世間は豊かになって、平等より、多様性を重んじるようになったともいえます。ただ、自由競争の度が過ぎてしまって、格差が激しくなった現在、再び平等が、重要になりつつあるのではないでしょうか。平等も又人間の普遍的価値として、社会正義を保つうえで、重要な社会基準ではないでしょうか。そして、この平等もまた、その起源をたどると、猿からヒトへの進化と、関係があると、私は考えています。

人類は、共感の心を発展させ、協力集団をつくりながら、敵や困難を乗り越え、進化してきました。その協力集団は、平等が、絶対的重要なルールです。狩りは、みんなが参加する、とった獲物は、みんなで分かち合う。(もちろん、年齢や性別による分業はあるでしょうが)つまり、原始共産制でした。しかし、こうした平等を悪用するズルい人間はいるものです。狩りや、採取をするとき、やっているふりだけして、みんなが見てないところで手を抜く、もらうものはちゃっかり一人前もらう、という手合いです。こういう人を「フリーライダー」と呼ぶそうです。こうしたズルい人間は、協力集団を崩壊させかねません。だから、絶えず、フリーライダーのズルを許さないよう、お互い監視の目を光らせる、つまり、隣人の行動に、絶えず注意が向く、そうした本能が身についたといいます。これが、平等の起源ではないでしょうか。(続く)


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