若者の投票率が相変わらず低い。学校での政治教育の必要性が叫ばれてきたが、あまり効果をあげていないようだ。それを妨げているのが、「教育の中立性」ではないか。
例えば、集団的自衛権は、憲法学者の大多数が違憲であると思っている。すると、授業で教える時、どう教えればよいのか。そうした実体を率直に教えるのが、「教育の中立」ではないのか。
しかし、政府のいう教育の中立は、どっちにも肩入れするな、両論併記で行け、という、両論の真ん中を行く中立である。それを守らない者は、「偏向教育」である、というレッテルが教師を絶えず脅かす。
だから、仮にヒットラーのような人がでてきても、学校では、両論併記で、両方の言い分をきちんと紹介することが求められる、これが中立だ。事実をゆがめ、嘘で塗り固められた主張でも、両論併記して、あとは君たちが自分の力で考えなさい、これでは、まだ判断の力が十分でない若者は、わけがわからず無関心になってしまう。
こうした「中立」というごまかしは、教育だけではない。昨年だか、国連の人権委員会のディビット・ケイという委員が、日本では報道の自由が脅かされている、と警告を発した。そのさい、問題にしたのが、放送法第4条である。そこでは、「政治的公平性」がうたわれているが、「公平性」が報道抑圧の手段になっている、というのだ。報道各社は、この「公平性」にビビッて、政府に不都合な報道を自主規制するようになっている。つまり、政府に忖度するようになる。国民は、政治がよくわからいようにされている。日本の投票率の低さは、先進国の中で、異常ではないか。
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