2019年10月2日水曜日

清潔という病

自然保護活動家のC・W・ニコル氏は、自然を愛し、日本を愛し、帰化して、南アルプスの黒姫山に、山小屋をつくり、環境保護を実践しるようです。活動家ですから、多分多くの人と接すること機会が多いのだと思います。そのニコル氏が、日本人、特に若者が、自然に無知であることを嘆いていました。木の名前を知らない、鯨とイルカの区別ができない、等。年々それがひどくなっているといいます。

私も、日常の経験や、もと教師で生徒と接する中で、同様の感想を持っております。よその国のことはよく知りませんが、私の数少ない読書経験でも、英語圏の小説には、沢山の植物名が、当たり前のように登場します。

現代の日本の文化は、ひたすら自然と逆方向に向かっているように思います。土を汚く思い、昆虫類を見れば害虫と思う。ひたすら清潔が善であると信じています。しかし、清潔の為に、いかに中性洗剤が使われ、昆虫が殺戮され、プラスチックが多用されていることか。

「清潔」という概念はどこまで行っても、きりがありません。最終的には、自分以外の物体や他人はすべて不潔で、消毒すべき対象になりえます。過度な清潔は、文化でも文明でもありません。ただ商業主義に毒された不潔恐怖症にすぎません。





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