終戦後のどさくさ時代を憶えている世代なら、「異国の丘」とか「モンテンルパの夜はふけて」等の歌謡曲を憶えているでしょう。のど自慢とか、ラジオの歌番組で定番の曲でした。前者は、ロシア(旧ソ連)での抑留者、後者はフィリッピンのB級戦犯の捕虜、をうたった歌です。当時やっと戦争が終わり、平和が戻っても、いつまで待っても、帰ってこない夫や息子を思う気持ちがうたわれています。
日本人なら、今なお、外国の地にねむっている多くの兵士の遺骨を、帰還させたいと思うことは、当然のように思います。しかし、不思議なことに、政府は、その遺骨返還という国家事業にあまり熱心にはみえません。
シベリアの地で、戦後抑留された日本人のうち、推定5万5千人が死亡し、うち遺骨回収できたのは、まだ2万1千9百人にすぎません。しかも、このうち597人分が、日本人の骨でないことが判明しました。それだけならあり得ることでしょうが、驚くべきことは、こうした取り違えの可能性は、2005年ころから、DNA専門家らから、再三指摘されていながら、それを改善も公表もしないで14年間放置していたといいます。フィリッピンの遺骨収集でも類似のことが起きています。
赤紙一枚で、戦地に送られた兵士の命の値段は、当時のはがき代1銭5厘と、庶民は陰で自嘲しました。そのような粗末な扱いを受けた兵士たちは、遺骨になった今も、粗末な扱いを受けているといえます。戦争を反省しない人たちは、遺骨収集の不熱心さに反比例して、靖国神社に行くのだけは熱心です。一体そこで、何を祈っているのでしょう。
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