日本文学の研究者、ドナルド・キーンさん、東日本大震災をきっかけに、日本国籍を取得しましたが、ことし2月に96歳で、多くの人に惜しまれながら亡くなりました。
日本人の心の機微や繊細さを、日本人以上に理解し、世界に紹介しました。しかし、晩年は、日本の姿に失望し、危惧を抱きながら、誰にもその気持ちを理解してもらえずに、亡くなったらしいことが、最近わかりました。最期までメールのやり取りをしてきた、タフツ大学のイノウエ教授からの情報です。イノウエ教授は毎年キーンさんの自宅を訪問し、身の回りの出来事から専門的な文学論まで語りあってきました。イノウエ教授によると、キーンさんは、日本人が繊細な心で多様な文化を育み、長い年月をかけて平和を築き上げてきたことを、大事に考えていたといいます。
キーンさんが平和に思いを寄せる背景には、70年あまり前の戦争体験があります。キーンさんは、太平洋戦争で海軍の通訳として日本兵の尋問を担当。沖縄戦では、日本兵に投降を呼びかける役割も担いました。
キーンさんが嘆いていたのは、他者への寛容さが失われているように見える日本人の姿です。特に、月刊誌に氾濫する嫌韓の記事を憂い、さらに、憲法の改正が議論になり始めても、歴史や平和について無関心な日本の状況に失望していました。
そこで、キーンさんは、憲法に対する自分の考えを、新聞に投稿したが、今のところ反応はふたりだけだ、奇跡は起きなかった、と言っていたといいます。
私たちは、大切な大恩人にたいして、うわべだけの賞賛だけで、十分報いることなく、必死の思いで書いた最期のメッセージすらも、聞く耳を持たず、悲しい思いで死なせた、美しくもなく、繊細でもない、醜い日本人となってしまいました。
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