昔ほど教師は、時間的余裕があったように思います。私の高校時代、3年間担任だったT先生は、化学の教師でしたが、昼休み理科室に行くと、いつもきまって物理のH先生と将棋をしていました。隣町から汽車で通勤していたT先生は、5時過ぎると、自転車を飛ばして駅に向かう姿をたびたび目にしました。残業もなければ、昼の会議や生徒指導もない、のどかな時代でした。
私が教師として神奈川県に来た頃、35年前、教師には研修日があり、週一回は、午後有給で、自由な研修が認められており、予め、研修が可能なように、時間割が組まれております。おかげで、秋葉原に行って電気パーツを探したり、家で実験装置を試作したり、図書館でしらべものができました。
その後、国鉄の民営化に伴い、国鉄職員や組合に対する激しいバッシングが起き、やがて、公務員バッシングとなり、そういった教師の研修に、世間は次第に不寛容になり、研修の権利ははく奪されました。そして、次には夏休みも、これは、本来休みではない、という「正論」が言い出され、様々な仕事が入り、勤務日とそうでない研修日を明確にされ、研修日は、休みと言えども、研修日だから、研修報告を提出することが義務付けられました。
そして、今度は安倍政権の働き方改革で、「変形労働時間」が導入されようとしています。それは夏休みがあるのだから、繁忙期には、最大10時間までは働き、全部の平均が8時間になればいいだろう、というものです。つまり、お前たちには夏休みをやるから、代わりに普段はその分、沢山働けということです。これは、現在の多忙状態、残業代ゼロ状態を追認正当化するに他ならず、何の問題も解決されていません。
私は、振り返ってみて、勉強する時間があったからこそ、教師として何とか成長できたと思っています。その時間がなくなったら、考えるだけでも恐ろしい。
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